若山牧水歌碑住所 旭川市近文5線5号 春光台公園内財団法人 旭川公園緑地協会 社団法人 旭川観光協会 春光台配水場入り口横に駐車場があり、そこから公園内に入り数分のところにある。 石は市内神居町春志内で採取された高さ2.8メートル、重さ約6トンの神居古潭石を使用。 歌碑は、若山牧水の歌碑建立実行委員会、書家の赤石蘭邦さんが揮毫した。 1926(大正15)年、歌人将軍斉藤劉を訪ねて旭川に来る。 春光台公園を訪れた際に詠んだ八首の中の一首、「野ぶどうのもみぢの色の深けれやから松はまだ染むとせなくに」を選出した。 2007(平成19)年、歌碑とし建立した。 この時の他の歌では「柏の木ゆゆしくたてり見てあればこころやすらぐその柏の木」 「遠山に初雪は見ゆ旭川の町のはづれのやちよりみれば」 「枯野原霜どけ道を行く時し君が手ぶりの美しきかな」などがある。 斉藤劉が春光台へ牧水に同伴して詠んだものもあり、「酒持ちて来るべかりけり落葉しき膝かいだける牧水は淋し」 「てのひらにどんぐりの実をころがしつ語る牧水の言の親しさ」などもあるという。 若山牧水(わかやま ぼくすい)とは、1885(明治18)年8月24日 - 1928(昭和3)年9月17日)、日本の歌人。 宮崎県東臼杵郡東郷村(現・日向市)に生まれる。 短歌と俳句を始め、18歳のとき号を「牧水」とする。 1904(明治37)年、早稲田大学文学科に入学。 1908(明治41)年、7月に処女歌集『海の声』出版。 1912(明治45)年、友人であった石川啄木の臨終に立ち合う。 1926(大正15)年、詩歌総合雑誌「詩歌時代」を創刊。 現在は、沼津市立若山牧水記念館が「静岡県沼津市千本郷林1907-11」TEL 055-962-0424にある。 斉藤瀏(さいとうりゅう)とは、1879(明治12)年、- 1953(昭和28)年7月5日、2.26事件で青年将校達に協力した陸軍少将で歌人 明科押野(現・長野県安曇野市明科七貴上押野区)で生れた。 日露戦争に従軍後、第七師団参謀として満州に渡る。 1930(昭和5)年、陸軍少将で退役し、東京に移り住む。 1939(昭和14)年、歌誌「短歌人」を発行し、全国各地で講演する。 春光台公園は、旭川市の中心部から5kmほど北に位置し、なだらかな丘陵地に帯状に設けられ眺望が綺麗な公園である。 旧日本軍の演習地の一部を国から借り受け(その大部分は市有地として取得)、1949(昭和24)年に都市計画が出たが未整備で樹木も少なかった。 1970(昭和45)年から「市民の森」として地元市民の手で約1800本の樹木を植栽、そのときの名残であろう錆びた看板が公園内に点在している。 1983(昭和58)年からは キャンプ場・冒険広場・宝くじ遊園などが整備され市民に広く利用され、散策する人たちも多く市民の憩いの場にもなっている。 散策路を歩くと小さな石碑があちらこちらにある、この石碑には「文学の小径(こみち)」と書かれている。 ここ春光台は徳富蘆花・三浦綾子・若山牧水・九条武子など多くの文豪が訪れ、作品の舞台としても描かれた文学者ゆかりの場所でもあるのである。 市民の有志が、これらの史実を多くの人に知ってもらおうと、「文学の小径(こみち)」と名づけた。 大きな地図で見る |