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今野大力詩碑

住所 旭川市常磐公園(川のおもしろ館うら)

財団法人 旭川市公園緑地協会

社団法人 旭川観光協会

3歳のときに旭川に移住した近野大力は、名寄・深川を経て16歳で再び旭川へ移り住む。
有利里小学校(名寄)卒業後、1920(大正9)年、父の事業が失敗すると旭川新聞社給仕や郵便局員として働き、この頃から詩作をはじめる。
その後、検挙され拷問を受け重体となり31歳の若さで逝く。
旭川市内には、今野大力居住地の史跡表示板があり、1927(昭和2)年から上京までこの付近に住んでいた。

碑文
詩人が時代を先駆した
詩人が郷土を眞實に生かした
そんな言葉が
私の耳に流れては来ないかしら
そんな言葉が
地球のどこかで語られる時
私のからだは
墓場の火玉となって消えるだろう
1924年作「やるせなさ」より


碑石 蛇紋岩で高さ2.2m・幅1.8m
建立者 今野大力文学碑をつくる会 今野大力没後50周年記念として、1985(昭和60)年6月22日に建立された。

今野大力(こんのだいりき)とは、1904(明治37)2月8日 - 1935(昭和10)年6月19日、詩人。
宮城県丸森町(現・宮城県伊具郡丸森町)に生まれ、3歳の時旭川に移り住み、名寄・深川を経て16歳で再び旭川へ移り住む。
父母は馬車鉄道の待合所を兼ねて雑貨店を営むが、貧しい中出生間もない弟や妹を失う。
有利里小学校(名寄)卒業後、1920(大正9)年、父の事業が失敗すると旭川新聞社給仕や郵便局員として働き、この頃から詩作をはじめる。
旭川郵便局に勤めながら地元紙や「文芸戦線」等に詩、創作を発表。
小熊秀雄とも交流があり、1927(昭和2)上京し詩や劇評を書く。
1929(昭和4)年、再度上京し、日本プロレタリア作家同盟に加わる。
1931(昭和6)年、「戦旗」「少年戦旗」編集に携わる。
1932(昭和7)年、コップ加盟団体へ弾圧が加えられ、検挙され拷問を受けて重体となり釈放されたが療養所で死亡した。

日本プロレタリア作家同盟とは、昭和戦前期に存在したプロレタリア文学の団体で、略称はナルプ。

プロレタリア文学とは、1920年代から1930年代前半にかけて流行した文学で、社会主義・共産主義思想と結びつく戦前の日本文学の一つ。

常盤公園とは、旭川市にある都市公園で、旭川市が管轄し財団法人旭川市公園緑地協会が管理する。
面積は約16haで、年間を通して花フェスタ・護国神社祭・旭川冬まつりなどの行事が公園内および近隣で開催される。
公園内には、上川神社頓宮・売店・ボート乗り場があり碑があちこちに点在している。
北海道立旭川美術館・旭川市中央図書館・旭川市公会堂・川のおもしろ館なども併設されていて、市民の憩の場になっている。

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