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外国樹種見本林

住所 旭川市神楽7条8丁目

社団法人 旭川観光協会

三浦綾子記念文学館

旭川の地名の由来は、アイヌ語で忠別川「チュプ・ペッ」(日・川)の意味で、「日」を「旭」に置き換えて「旭川」と意訳した。
国道237号線と永隆橋通りの交差点、神楽4条9丁目を駅と反対方向に約350mほど。
ここは、国有林で外国の樹種が日本の寒冷地で育つかを観察するために造られた見本林である。
総面積は、約18ha。


1898(明治31)年に、ヨーロッパアカマツ、ヨーロッパカラマツ、ストローブマツの苗木を植栽し、北海道で最も古い外国樹種植栽地の一つだが、1895(明治28)年と記載の文献もあり、詳細は不明。
立入りは自由で、学術的にも貴重なものとされ、自然豊かな森にはエゾリスなどの小動物や野鳥も数多く生息している。
1970(昭和45)年に国有林の制度である自然休養林に指定され、憩いの場として市民のほか多くの人が利用している。
現在は、およそ30種の外国樹種を中心に、本州からの移入種及び、北海道郷土種を含めおよそ50種の樹木が植栽されているそうだ。


また、三浦綾子の代表作「氷点」の舞台としても知られ、見本林の入口に建設された「三浦綾子記念文学館」には、三浦綾子の作品・遺品が数多く展示されている。


美瑛川右岸に位置し、堤防の上は両神橋から見本林の南端近くまで舗装されて自転車も通行可能である。
この場所は、カラスの繁殖地にもなっており、4月から8月はカラスの繁殖期で(営巣期(4〜5月)と、ひなの巣立ちの時期(6〜7月))、巣の近くを通る人に対する威嚇が増えるようですので注意が必要。
かつてここは鬱蒼とした森だったが、台風の影響だろうか、開けた場所になっていた。
植樹も進んでいるので、いずれは森になるのであろう。







1895(明治28)年、神楽村に御料局札幌支庁上川出張所が設置され、上川郡の御料地を管轄する。
1898(明治31)年、御料上川試験場内美瑛川沿岸防風林にストローブマツ、ヨーロッパトウヒ、ヨーロッパアカマツなどの7種、5400本をを植林。このとき、現在の外国樹種見本林のストローブマツ、ヨーロッパアカマツ、ヨーロッパカラマツが植栽されたそうだ。
1926(大正15)年、育苗技術が確立し、郷土樹種のトドマツが、外国樹種との生長比較のため植栽された。
1928(昭和3)年、郷土樹種のヤチダモ、オニグルミが植栽された。
1947(昭和22)年、林政統一により農林省所管となる。
1950(昭和25)年、洪水防止の目的で美瑛川右岸堤防が、作られる。
1965(昭和40)年、旭川在住の三浦綾子氏による、見本林が舞台の小説「氷点」が、朝日新聞の懸賞小説に入選し、全国的に有名になる。
1969(昭和44)年、堤防内地域について民地との境界にフェンス設置・堤防外地域に歩道の整備。
1970(昭和46)年、見本林を含む嵐山・神居自然休養林が9月10日に指定され、レクリエーションの森として整備される。
1998(平成10)年、6月に見本林内に、三浦綾子記念文学館開館する
2004(平成16)年、台風18号により大きな被害を受ける。

三浦綾子(みうらあやこ)とは、1922(大正11)年4月25日 - 1999(平成11)年10月12日)、作家、小説家、エッセイスト。
1922(大正11)年、4月堀田鉄治とキサの第五子として旭川市に生まれる。
1935(昭和10)年、3月旭川市立大成尋常高等小学校卒業。
1939年、3月旭川市立高等女学校(現・旭川市立北都中学校・立地)卒業。4月歌志内公立神威尋常高等小学校教諭となる。
1941(昭和16)年、4月神威尋常高等小学校文珠分教場へ転任する。9月旭川市立啓明国民学校へ転勤する。
1946(昭和21)年、3月敗戦までの国家のあり方、自らも関わった軍国主義教育の過ちに気づき啓明小学校を退職。6月肺結核を発病、療養所に入院。
1952(昭和27)年、7月結核の闘病中に小野村林蔵牧師より洗礼を受ける。
1959(昭和34)年、5月日本基督教団旭川六条教会で、中嶋正昭牧師司式により旭川営林局勤務の三浦光世と結婚。
1962(昭和37)年、1月「主婦の友」新年号に「太陽は再び没せず」入選作として掲載される。 1964(昭和39)年、7月朝日新聞社1千万円懸賞小説に「氷点」入選。12月より朝日新聞朝刊に「氷点」の連載を開始する。
1965(昭和40)年、11月「旭川市文化賞」受賞。
1968(昭和43)年、9月「塩狩峠」刊行。(新潮社)
1971(昭和46)年、5月「続・氷点」刊行。(朝日新聞社)
1975(昭和50)年、8月「細川ガラシャ夫人」刊行。(主婦の友社)
1977(昭和52)年、3月「泥流地帯」刊行。(新潮社)12月「新約聖書入門-心の糧を求める人へ」刊行。(光文社)
1979(昭和54)年、4月「続 泥流地帯」刊行。(新潮社)
1983(昭和58)年、5月「三浦綾子作品集」全18巻刊行開始。(朝日新聞社1984(昭和59)年10月完結)
1989(平成元)年、11月作家生活25周年記念三浦綾子文学展が、北海道立文学館・北海道新聞社主催で札幌市(丸善札幌支店)で開催。12月同文学展旭川市(丸井今井デパート)で開催される。
1991(平成3)年、4月「三浦綾子文学アルバム」刊行。(主婦の友社)7月「三浦綾子全集」全20巻刊行開始。(主婦の友社1993(平成5)年4月完結)
1994(平成6)年、11月北海道新聞文化賞受賞。
1996(平成8)年、北海道文化賞受賞。4月「命ある限り」刊行。(角川書店)
1998(平成10)年、6月三浦綾子記念文学館開館。
1999(平成11)年、7月旭川の病院に入院する。

国道237号とは、旭川市から浦河郡浦河町に至る一般国道で、総距離は259.6km。

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