軍用水道碑住所 旭川市春光台1条3丁目社団法人 旭川観光協会 北鎮記念館関連記事 春光台にある市の水道施設、「春光台配水地」。 1990(平成2)に旭川市文化財に指定された「覆蓋付緩速ろ過池(ふくがいつきかんそくろかち)」があり、その奥にあるのが軍用水道碑である。 この施設は、1908(明治41)年、旧第7師団内で腸チフスの感染が広がったのをきっかけに建設が決まり、1910(明治43)年から造られた。 1913(大正2)年3月に完成。総工費は当時のお金で約44万円。現在の価格に換算すると約90億円にものぼる大工事で、レンガ700万個を用いている。 当時は、毎日1万5千tの水を、第七師団の各施設に送っていた。 全国でも珍しく、近代水道百選に選ばれている。 浄水はしていないが、いまも現役の配水池として周辺5600世帯に水を供給している。 碑は、1915(大正4)年建立で、1913(大正2)年当時師団長だった宇都宮太郎が書いたもの。 下に漢文が書かれているが、現代文には訳せない。 ちなみに、「覆蓋」とは「天井」「おおい」のことで、寒冷地のため水の凍結を防ぐ必要があったため作られた施設。 現在も、木管は陸上自衛隊旭川駐屯地内の「北鎮記念館」に一部展示されている。 第7師団とは、1885(明治18)年、北海道の開拓と防衛を兼ね、屯田兵を母体とし1896(明治29)年5月12日に編成・設置された。 当時、第七師団を眼下に収めていたこの高台には、高射砲台や対空銃座が置かれていたそうで、現在でも笹薮を掻き分けた一角にその遺構を見る事ができるそうだ。 現在は、公園として市民の憩いの場となっているが、太平洋戦争末期には敵機を迎え撃つべく砦の役割も果たしていた。 「春光台公園」とは、旭川市の中心部から5kmほど北に位置し、なだらかな丘陵地に帯状に設けられ眺望が綺麗な公園である。 旧日本軍の演習地の一部を国から借り受け(その大部分は市有地として取得)、1949(昭和24)年に都市計画が出たが未整備で樹木も少なかった。 1970(昭和45)年から「市民の森」として地元市民の手で約1800本の樹木を植栽、そのときの名残であろう錆びた看板が公園内に点在している。 1983(昭和58)年からは キャンプ場・冒険広場・宝くじ遊園などが整備され市民に広く利用される公園となっている。 大きな地図で見る |