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北鎮記念館

住所 旭川市春光町国有無番地
TEL 0166-51-6111(内線2496)
開館時間 9時30分〜16時
休館日 毎週月曜日(月曜日が休日の場合は翌日)   12月28日〜1月3日
入場料 無料
受付に言って頂ければ人数に関わらず、館内の案内をしてくれるそうですので希望の方は申し出てください。

北鎮記念館

一般社団法人 旭川観光コンベンション協会

旭川の地名の由来は、アイヌ語で忠別川「チュプ・ペッ」(日・川)の意味で、「日」を「旭」に置き換えて「旭川」と意訳した。
国道40号線沿いにあり、旭川市街地から約2.5kmほど。
陸上自衛隊旭川駐屯地に隣接しており、北海道の開拓時代から現代までの貴重な資料および防衛における歴史についての史料を展示している。
現在置かれている陸上自衛隊第2師団の活動・屯田兵・防衛に関する資料・第2次大戦中に活躍した旭川出身の加藤隼戦闘隊長に関する資料なども展示されている。
東旭川にある旭川兵村記念館にも加藤隼戦闘隊長に関する資料があり、記念館横には記念木加藤の松が植えられている。

この北鎮記念館は、1964(昭和39)年に遠軽駐屯地にあった馬小屋の建物で資料を展示していたものを旭川駐屯地に移築したのがきっかけだそうだ。
その後、記念館の建物が老朽化し、駐屯地の国道40号沿いの旧外来宿舎跡地に建物を新築し、2007(平成19)年6月10日に開館。


館内には最も貴重な資料とされ、旭川市の文化財に指定されている旧陸軍第7師団の機密文書『第7師団史』がある。
開拓使が設置された1869年(明治2年)から1945(昭和20)年6月までの師団の主要作戦や人事などが克明に記されている機密文書をはじめ、貴重な資料が約2500点以上展示されている。
このうち、展示されずに倉庫に眠っている品も多く、その大半が旧軍人の遺族や関係者からの譲渡品が多数だと言う。
ちなみに、第7師団とは大日本帝国陸軍の師団の一つで、1885(明治18)年に。北海道の開拓と防衛を兼ねて設置された。
屯田兵を母体とし1896年(明治29年)5月12日に編成され、北辺の守りを担う重要師団であり、「北鎮部隊」と呼んでいたそうだ。

1階には、記念館の設立趣意書、第7師団の歴史に関連したパネル展示・事務室・イラク派遣装備モデル展示・図書スペース・北鎮メモリアルショップなどがある。


ちなみに、第2師団とは陸上自衛隊の師団のひとつで、司令部を旭川駐屯地に置き、北海道道北の防衛警備・災害派遣・民生協力及び国際貢献活動を行っている。
陸上自衛隊の各師団の中でも訓練の厳しさは有名なんだそうだ。
そのため、精鋭部隊として知られており、海外へ派遣されることが多い事でも知られている。
そしてなんと言っても、旭川市で毎年2月に開催される旭川冬まつりにおいては、大雪像の製作を担当することが恒例となっていて祭りの欠かせない存在となっているのである。


2階には、北海道開拓から屯田兵に関連した史料が展示されていて、年表・兵屋模型・民具・永山武四郎胸像・絵画・旧第七師団関連・駐屯模型・各種軍服・各種勲章・武器や装具・刀剣など博物館のような収蔵品が並んでいる。


永山武四郎胸像・国見の碑などの展示
永山武四郎(ながやまたけしろう)とは、1837(天保8)年4月24日(5月28日) - 1904(明治37)年5月27日、日本の陸軍軍人で、明治時代に北海道庁長官、第7師団長、貴族院議員等を歴任する。官位は陸軍中将従二位勲一等男爵。
鹿児島藩士、永山盛広の四男として生まれ、同じ藩士の永山喜八郎の養子となる。
戊辰戦争に従軍し、維新後の1871(明治4)年7月、陸軍大尉・2番大隊付に任命される。
1872(明治5)年、9月から北海道開拓使八等出仕となる。
1877(明治10)年、4月に屯田兵第1大隊長に就任後、西南戦争に従軍する。戦争から帰還し屯田兵大佐となる。
1888(明治21)年、6月から第2代北海道庁長官を兼ねる。
1889(明治22)年、8月屯田兵司令官に就任。
1895(明治28)年、2月臨時第7師団司令官となり、同年12月4日、男爵に叙される。
1896(明治29)年、5月第7師団師団長に正式に就任する。同年10月、陸軍中将に進級し1900(明治33)年、4月まで務めた。
北海道庁長官となった武四郎は、北海道でも特に内陸部の開発に着目していた。
岩村通俊と共に上川原野を視察し、国見を行ったことでも有名で屯田兵村を設置するが、この村は1890(明治23)年、永山村と名前を変える。
他にも関連した碑があり、1889(明治22)年9月に、永山武四郎将軍がこの山に登り、山の頂上から上川平野を一望したことから、将軍山(283.9m)とつけられ、永山武四郎将軍展望の碑を建立。1885(明治18)年8月、後の北海道初代長官岩村通俊と屯田兵本部長永山武四郎らが石狩川奥地調査に来て、長谷部辰連、佐藤秀顕と共に、近文山頂に登り、広大な未開の上川平野を国見し、1886(明治19)年に国見の碑を、吏員の白野夏雲に命じて建立させたものもある。


旭川市の水道管
春光台にあった実物の本管だそうだ。


日露戦争、203高地の白兵戦・日ソが激突したノモンハン事件・ソ連軍と戦って多数の戦死者を出したこと。
模型や解説により詳しく紹介されている。


戦死した軍人の遺書などもあるが、軍国主義賛美な展示は少なく、全体としては郷土資料館的な要素が多い。


今回私が行ったときには、テオドール・フォン・レルヒ中佐がスキーの滑り方を指導してから、100年を迎える記念の特別展が開かれていた。
記念館の収蔵品を中心に約50点を展示していた。

旭川空港前には、テオドール・フォン・レルヒ像がある。


近年では2011(平成23)年に起きた、東北地方太平洋沖地震で、自衛隊はその機動力や組織力を活かし、被災地の住民から高い評価を得ている。
派遣終了までに最大約10万7000人、延べ1000万人を超える隊員が自衛隊史上最大規模の活動を展開。
行方不明者の捜索、救援物資の輸送、福島第一原子力発電所事故でも、放射線に汚染された瓦礫の撤去に74式戦車2両が派遣されている。
災害派遣で出動する自衛隊の部隊が行う活動は非常に幅広く、状況や緊急性に応じて必要とされるあらゆる活動を、可能な限り実施するのだそうだ。
このような幅広い展示と解説が現在では、観光スポットとして人気を博しているのではないかと私は思う。

第2師団とは、陸上自衛隊の師団のひとつで、陸上自衛隊の中でも最新鋭の装備を有し、訓練の厳しさは自衛隊でも有数。
精鋭部隊としても知られており、「陸自の基準杭」「北鎮師団」(ほくちんしだん)とも呼ばれている。
旭川市に所在する師団司令部をはじめ、名寄・遠軽・留萌・上富良野に駐屯し、各種災害派遣・各市町村が主催する行事等にも協力している。
近年は、海外における国際平和協力活動でも活躍している。
毎年6月上旬には、旭川駐屯地最大のイベント陸上自衛隊第2師団創立記念イベントが行われる。

第7師団とは大日本帝国陸軍の師団の一つで、1885(明治18)年に。北海道の開拓と防衛を兼ねて設置された。
屯田兵を母体とし1896年(明治29年)5月12日に編成され、北辺の守りを担う重要師団であり、「北鎮部隊」と呼んでいたそうだ。

国道40号線とは、旭川市から稚内市へ至る一般国道で、総距離は243km。

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