上川神社例大祭住所 旭川市神楽岡公園毎年7月20・21・22日 一般社団法人 旭川観光コンベンション協会 上川神社 旭川の地名の由来は、アイヌ語で忠別川「チュプ・ペッ」(日・川)の意味で、「日」を「旭」に置き換えて「旭川」と意訳した。 1890(明治23)年、旭川村が153戸、人口696人で開村され、1893(明治26)年、旭川の鎮守として、義経台(現・宮下通り4丁目〜7丁目あたり)と呼ばれた場所に天照大神をお祀りしたのが上川神社の創祀である。 1898(明治31)年、神社を6・7条通8丁目に移転、1902(明治35)年には宮下通21丁目に移転。 1920(大正9)年から4年の年月をかけ本宮並びに頓宮の社殿を北海道産蝦夷松材で造営。 1924(大正13)年6月6日かつて上川離宮建設が決定された、現在の神楽岡公園に鎮座し現在に至る。 1992(平成4)年、上川神社ができて百年の記念事業として社殿の大改修を行う。 1994(平成6)年、能の上演ができる舞殿を建設。 例大祭は毎年7月20日の宵宮祭、21日は例大祭(本祭)。 21、22日と御神幸式が行われ、本宮、頓宮では神楽舞、獅子舞、雨紛囃子が行われる。 豊栄の舞 豊栄の舞(とよさかのまい)は、乙女舞とも言われ、舞人は榊または季節の花を右手に持って舞います。 森羅万象の神々を崇め、その恩恵に感謝する心を表現した舞いだそうだ。 この舞は、太陽の恵みや、生きていることへの感謝、自然への感謝の意味がこめられているという。 浦安の舞 浦安の舞うらやすのまい)は、1940年(昭和15年)11月10日に開かれる「皇紀二千六百年奉祝会」に合わせ、全国の神社で奉祝臨時祭を行うに当たり、当時の宮内省楽部の楽長である多忠朝が作曲作舞した神楽舞で、以降各神社で舞われるようになり、現在に至っている。 五十鈴の舞 五十鈴の舞(いすずのまい)は、越殿楽今様の歌詞に、旭川市の鎮守・上川神社の初代楽長筒井貴孝氏が振付けした神楽舞で、上川管内を中心に各神社の祭礼などで舞われている。 舞姫は右手に鈴、左手に扇を持って舞う。 大黒様の福の種まき 福々しい笑顔の神様で、大黒様は集まった人々に「福の種」を授ける。 いわゆる「餅まき」です。 雨紛囃子 雨紛囃子(うぶんはやし)の由来は、大和田町大和田(現・埼玉県新座市大和田)に伝わる大和田囃子に由来する。 1945(昭和20)年8月、終戦のころ東京方面から緊急開拓団12戸(「拓北農兵隊」として募集された人達)が、当時の神居村共栄地区(現・神居町共栄)に移住した。 その中に埼玉県大和田出身で大和田囃子の中心人物として活躍していた高橋剛三郎がいた。 高橋は、開拓団の子供たちを集めて囃子を手ほどきし、1946(昭和21)年9月には雨紛神社の秋の祭典に奉納し、雨紛囃子と命名した。 その後開拓団の中だけで伝承されていたが、後継者不足から雨紛地区住民に伝承を呼びかけ現在に至っている。 大和田囃子は、802(延暦21)年創立と伝えられている大和田氷川神社に奉納されてきた祭り囃子である。 1980(昭和55)年には、市の無形文化財に指定された。 本宮 大きな地図で見る 頓宮 大きな地図で見る |