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旭山三浦庭園

住所 旭川市東旭川町倉沼 旭山動物園隣り
開園期間 4月下旬〜10月15日
開園時間 9時〜17時
入園料 大人300円、中学生以下無料

財団法人旭川市公園緑地協会

一般社団法人 旭川観光コンベンション協会

旭川の地名の由来は、アイヌ語で忠別川「チュプ・ペッ」(日・川)の意味で、「日」を「旭」に置き換えて「旭川」と意訳した。
倉沼の由来は、アイヌ語の「ク・ラル・オマ・イ」(仕掛け弓・仕掛けてある・所)と思われる。
旭山動物園に隣接する静かな和風庭園。

旭山は最初、屯田兵の射撃の演習場があったことから射的山と呼ばれていた。1903(明治36)年、中腹に稲荷神社を建立。大正末期まで稲荷山と呼ばれていた。
三浦庭園は、元市職員の故三浦猛さんが1965(昭和40)年から造成し以来、数十年間に渡り所有者が手間を惜しまず愛情を込めて日々の管理を行い培われてきたものである。
広さは2.9haにもなり、6月下旬〜8月上旬にかけ約2000株の色とりどりのスイレンの花が咲き、数多くの野草を見ることもできる。
1999(平成11)年、三浦さんが亡くなった後、家族での維持が難しくなり、2011(平成23)年に閉園した。
旭川市は、2012(平成24)年6月下旬に旧三浦庭園を取得し、公園施設として維持管理を行うこととなり施設の改修整備を行い、2014(平成26)年7月再開園した。


庭園前に駐車場はないが、約300m手前に駐車スペースがあるのでそちらから徒歩で行くこととなる。動物園からももうじゅう館裏手から連絡通路があり追加料金を払えば誰でも入園できる。


園内は、大きな池を囲うように桜やリンゴなどの木々や草花が植えられ、季節ごとに様々な風景を見せてくれる。
池の周りは遊歩道になっており、6月下旬〜8月上旬は水面に広がる満開の睡蓮が見ごろだ。
睡蓮は朝に花を咲かせると、水温が上昇する午後には閉じるため、花を鑑賞するには午前中に来園するほうがいいだろう。
池には鯉・フナ・金魚が泳いでいる。ちなみに三浦庭園の睡蓮は5種類あるという。

睡蓮の開花時期に合わせ、2012(平成24)7月20日〜8月19日の1ヶ月間限定で無料開放されたときの写真です。(過去画像)




アジサイも綺麗に咲いていた。


睡蓮とは、スイレン科スイレン属、和名はヒツジグサ(未草)で、水生多年草。
蓮(ハス)に似た花で、ハスは葉や花が水面から立ち上がるが、睡蓮は葉も花も水面に浮かんだまま。
睡蓮も蓮も葉は円形で同じように見えるが、睡蓮は基本的に葉に切り込みが入るが、蓮には入らず、葉の表面に撥水性はない。(蓮は撥水性がある)
水位が安定している池などに生息し、地下茎から長い茎を伸ばし水面に葉や花を浮かべ、根茎から直接伸びる花柄の先端に直径5〜10cmほどの花をつける。

アジサイ(紫陽花)とは、アジサイ科アジサイ属の植物の総称。
由来は、藍色の花が集まるという「あづさい(集真藍)」がなまったものとする説が有力である。
「紫陽花」は唐の詩人が別の花に付けたもので、平安時代の学者がこの漢字をあてはめたことから誤って広まったそうだ。
花の色は、土壌のpH(酸性度)によって変わり、一般に酸性ならば青、アルカリ性ならば赤っぽい色になるといわれている。
ちなみに、ヤマアジサイは酸度によって影響される変化は弱く、一概にすべてのアジサイに当てはまる性質とは言えないのである。

屯田兵とは、明治時代に北海道の警備と開拓にあたった兵士と部隊の総称。
1870(明治3)年、11月開拓使が提案し、ついで西郷隆盛が1871(明治4)年、士族による北方警備と開拓を主唱する。その後開拓次官の黒田清隆が1873(明治6) 年11月に太政官に屯田制を建議。太政官は黒田の提案に賛成し、1874(明治7)年屯田兵例則を定め、1875(明治8)年5月札幌郊外の琴似兵村への入地で屯田が開始された。
初期の屯田兵募集は原則として士族が対象だったが、後に士族原則が取り払われ平民も屯田兵に志願できるようになる。
兵役は、現役3年、予備役4年、後備役13年の計20年だった。移住後3ヵ月は生兵として、午前訓練・午後開墾を行ったが、その後は訓練・演習は農閑期に行われ、家族にも厳しい規則が強いられていた。
新たな入植は1899(明治32)年上川、士別で終わり、彼らが後備役に入った1904(明治37)年に屯田兵制度は廃止となった。

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