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小熊秀雄詩碑

住所 旭川市常磐公園 旭川文学資料館うら
財団法人 旭川市公園緑地協会

社団法人 旭川観光協会

旭川の常磐公園内に、小熊秀雄の詩碑はある。
碑には、『現代文学』の追悼号に遺稿として発表された詩の一部が刻まれている。
こゝに理想の煉瓦を積み
こゝに自由のせきを切り
こゝに生命の畦をつくる
つかれて寝汗掻くまでに
夢の中でも耕やさん
   壷井繁治書

1967(昭和42)年5月28日設置する。
碑石は、花崗岩に黒御影石の盤面、高さ1.9m 幅2.1m


小熊秀雄(おぐまひでお)とは、、1901(明治34)年9月9日 - 1940(昭和15)年11月20日、詩人で小説家。
小樽市稲穂町に生まれ、幼少期を稚内市・秋田・樺太で過ごし、早くに母を失っている。
泊居高等小学校(樺太)を卒業し、養鶏場の番人など様々な雑務作業に従事した。
1922(大正11)年、姉のツテで旭川で新聞記者を務め、この頃から詩作を始め文芸欄に詩や絵を発表していく。
1928(昭和3)年、27歳で上京、豊島区長崎町に住み、雑誌社などで働きながら、雑誌『民謡詩人』などに作品を発表する。
1935(昭和10)年、「小熊秀雄詩集」・長編叙事詩集『飛ぶ橇』で詩人としての地位を確立、自由奔放な作風が言論弾圧が厳しくなり沈滞していた詩壇に新風を吹き込んだ。さらに詩作だけにとどまらず、童話・評論・絵画など幅広い分野で活躍したのである。
また晩年は、漫画出版社・中村書店の編集顧問となり、手塚治虫・小松左京・松本零士らに大きな影響を与えたとも言われている。

小熊秀雄賞(おぐまひでおしょう)とは、1967(昭和42)年、詩碑を建立した年に、旭川市で創設された文学賞である。
旭川文学資料館には、その賞を受賞された方の名前や本なども展示されていて文学ファンならたまらないだろう。
彼が39年の生涯のうち旭川に住んだ年月はわづか7年に過ぎないが、全国的な小熊秀雄賞が設けられ、募集は全国公募で行われる。

壺井繁治(つぼいしげじ)とは、1897(明治30)年10月18日 - 1975(昭和50)年9月4日、詩人。
香川県小豆郡苗羽村(現・小豆島町)出身、早稲田大学に学ぶ。
プロレタリア文学の詩の分野で活躍し、何度か投獄されるがその後、小熊秀雄や村山知義たちと〈サンチョ・クラブ〉を結成する。

プロレタリア文学とは、1920年代から1930年代前半にかけて流行した文学で、社会主義・共産主義思想と結びつく戦前の日本文学の一つ。

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