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蘆花 寄生木ゆかりの地碑

住所 旭川市字近文5線5号春光台公園内

社団法人 旭川観光協会

財団法人 旭川市公園緑地協会

1909(明治42)年、『寄生木』という小説を発表。
主人公・篠原良平(山口村(宮古市山口)の実在の人物、小笠原善平)が27歳の若さで自らの命を絶つまでの生涯を描いた作品。
この辺りは、明治30年代に旧陸軍第七師団を中心に町が開けていった。
その第七師団の見習士官だった人のモデルで、小説を書くため蘆花は、実際にこの場所を訪れているそうだ。
これを記念し、1958(昭和33)年6月25日建立


ちなみに徳冨 蘆花(とくとみ ろか、1868(明治元)年12月8日(10月25日) - 1927(昭和2)年9月18日)、本名は徳富健次郎で、小説家。
熊本生まれ、1889(明治22)年、東京民友社に入社し1902(明治35)年まで勤務。
小説『不如帰』がベストセラーになり、随筆『自然と人生』はその文章が賞賛され、人気作家となる。
「思ひでの記」「自然と人生」「黒潮」「富士」「みみずのたはごと」などの作品もある。
旭川には、1903(明治36)年・1910(明治43)年と取材に訪れ、当地を舞台に「寄生木」を書く。
1927(昭和2)年、病に倒れ享年満58歳で亡くなる。
死後旧邸宅は東京市に寄贈、現在は蘆花恒春園(住所 世田谷区粕谷1-20-1)として開放されている。

第7師団とは、1885(明治18)年、北海道の開拓と防衛を兼ね、屯田兵を母体とし1896(明治29)年5月12日に編成・設置された。
当時、第七師団を眼下に収めていたこの高台には、高射砲台や対空銃座が置かれていたそうで、現在でも笹薮を掻き分けた一角にその遺構を見る事ができるそうだ。
現在は、公園として市民の憩いの場となっているが、太平洋戦争末期には敵機を迎え撃つべく砦の役割も果たしていた。

「春光台公園」とは、旭川市の中心部から5kmほど北に位置し、なだらかな丘陵地に帯状に設けられ眺望が綺麗な公園である。
旧日本軍の演習地の一部を国から借り受け(その大部分は市有地として取得)、1949(昭和24)年に都市計画が出たが未整備で樹木も少なかった。
1970(昭和45)年から「市民の森」として地元市民の手で約1800本の樹木を植栽、そのときの名残であろう錆びた看板が公園内に点在している。
1983(昭和58)年からは キャンプ場・冒険広場・宝くじ遊園などが整備され市民に広く利用される公園となっている。

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