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春光台公園

住所 旭川市字近文5線

財団法人 旭川市公園緑地協会

一般社団法人 旭川観光コンベンション協会

旭川の地名の由来は、アイヌ語で忠別川「チュプ・ペッ」(日・川)の意味で、「日」を「旭」に置き換えて「旭川」と意訳した。
旭川市の中心部から5kmほど北に位置し、国道12号線春光7条5丁目交差点から道道72号旭川幌加内線を鷹栖方向に約170mで駐車場がある。
なだらかな丘陵地に帯状に設けられ眺望が綺麗な公園である。
旧日本軍の演習地の一部を国から借り受け(その大部分は市有地として取得)、1949(昭和24)年に都市計画が出たが未整備で樹木も少なかった。
1970(昭和45)年から「市民の森」として地元市民の手で約1800本の樹木を植栽、そのときの名残であろう錆びた看板が公園内に点在している。
1983(昭和58)年からは キャンプ場・冒険広場・宝くじ遊園などが整備され市民に広く利用され、散策する人たちも多く市民の憩いの場にもなっている。
散策路を歩くと小さな石碑があちらこちらにある、この石碑には「文学の小径(こみち)」と書かれている。
ここ春光台は徳富蘆花・三浦綾子・若山牧水・九条武子など多くの文豪が訪れ、作品の舞台としても描かれた文学者ゆかりの場所でもあるのである。
市民の有志が、これらの史実を多くの人に知ってもらおうと、「文学の小径」と名づけた。


フィールドアスレチック場
春光台公園の中にあり、子どもはもちろん大人の運動不足解消にも最高。


公園内には旭川観光協会が、1971(昭和46)年に設置した北海道 スキー発祥の地の碑がある。

1909(明治42)年、「寄生木」という小説を発表。
その第七師団の見習士官だった人のモデルで、小説を書くため徳富蘆花は、実際にこの場所を訪れているそうだ。
これを記念し、1958(昭和33)年6月25日蘆花 寄生木ゆかりの地碑を建立した。

春光台にある市の水道施設、「春光台配水地」。
1990(平成2)年に旭川市文化財に指定された覆蓋付緩速ろ過池(春光台配水地)がある。
この施設は、1908(明治41)年、旧第7師団内で腸チフスの感染が広がったのをきっかけに建設が決まり、1910(明治43)年から造られた。

1990(平成2)に旭川市文化財に指定された「覆蓋付緩速ろ過池(ふくがいつきかんそくろかち)」があり、その奥にあるのが軍用水道碑である。
碑は、1915(大正4)年建立で、1913(大正2)年当時師団長だった宇都宮太郎が書いたもの。

ミズバショウ群生地
公園内には、750mにわたりミズバショウが群生していて、木道も整備されている。


1926(大正15)年、歌人将軍斉藤劉を訪ねて旭川に来る。
春光台公園を訪れた際に詠んだ八首の中の一首、「野ぶどうのもみぢの色の深けれやから松はまだ染むとせなくに」を選出し、2007(平成19)年、若山牧水歌碑とし建立した。

展望ポイント
春光台公園は、嵐山や近文台から続く丘陵地にあり、この展望ポイントは、林が切れており旭川市街・大雪山連峰の眺望がとても綺麗である。


第7師団とは、1885(明治18)年、北海道の開拓と防衛を兼ね、屯田兵を母体とし1896(明治29)年5月12日に編成・設置された。
当時、第七師団を眼下に収めていたこの高台には、高射砲台や対空銃座が置かれていたそうで、現在でも笹薮を掻き分けた一角にその遺構を見る事ができるそうだ。
現在は、公園として市民の憩いの場となっているが、太平洋戦争末期には敵機を迎え撃つべく砦の役割も果たしていた。

ミズバショウ(水芭蕉)とは、サトイモ科ミズバショウ属の多年草で、開花時期は融雪後の5月から6月にかけて。
葉がバショウ(芭蕉)の葉に似ているので、この名前になったそうで、白いのは花ではなく仏炎苞(ぶつえんほう)、花は中心部の黄色いところについている。

国道12号線とは、札幌市から旭川市へ至る一般国道で、総距離は156.8km。

道道72号旭川幌加内線とは、旭川市と幌加内町を結ぶ主要道道で、総距離は39.2km。

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