旧陸軍第七師団司令部正門住所 春光4条7丁目社団法人 旭川観光協会 北鎮記念館 関連記事 明治時代に建てられた第七師団司令部も今は風化してしまって正門だけに。 門柱はおそらく昭和に入ってから造り直されたものと思われるが詳細はない。 冬はおそらく門柱ごと除雪の雪の山に埋もれているのであろう、何もされていないのでボロボロで朽ちてきている。 現在門柱の奥には、4階建ての自衛隊官舎が並び、他に面影を残すものは全くない。 幾多の軍人が様々な思いを持ち通ったであろう門柱に軍都としてのまぎれもない事実は風化していく。 建物が失われた今、残しておくべき史跡ではないだろうか。 この門の向かい側には、旧陸軍第七師団騎兵第七連隊覆馬場がある。 碑文 旧陸軍第七師団司令部正門 日清戦争後予想される日露戦争に備えて、明治政府は常備六個師団の増設を企図、明治29年5月に札幌に第七師団を創設した。 その後、陸軍省は国防的見地、自然環境、用兵訓練等の観点から当時の上川郡鷹栖村字近文(現春光末広春光台地区)を衛戍地適地と選定。 大規模な兵営官衛を造成。 師団主力は明治34年(1901年)10月札幌からこの地に転営した。 師団用地は総計1700ヘクタールに及び面積の広大さ、駐留兵力の膨大さなど全国師団中随一の規模を有し、為に終戦時まで旭川は軍都と称された。 戦後、旧師団衛戍地は逐年面目を改め、この司令部正門のみが往時回顧唯一の史跡となっている。 昭和61年6月5日 旧陸軍第七師団史跡保存会 衛戍地とは、(大日本帝国陸軍において陸軍軍隊が永久一地に配備駐屯する土地の事) 第7師団とは大日本帝国陸軍の師団の一つで、1885(明治18)年に。北海道の開拓と防衛を兼ねて設置された。 屯田兵を母体とし1896年(明治29年)5月12日に編成され、北辺の守りを担う重要師団であり、「北鎮部隊」と呼んでいたそうだ。 大きな地図で見る |