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上南部水神宮

住所 旭川市東旭川瑞穂

一般社団法人 旭川観光コンベンション協会

旭川の地名の由来は、アイヌ語で忠別川「チュプ・ペッ」(日・川)の意味で、「日」を「旭」に置き換えて「旭川」と意訳した。
水田が広がる豊田・米原・瑞穂地区は、総称して「ペーパン(米飯)」と呼んでいる。
これはアイヌ語で「ぺ・パン」(水・飲む)と、「ペー・パン・ペッ」( 水・あまい・川)のペッ(pet 川)が略された説の二説がある。もちろんお米づくりが盛んである。昔は「上ペーパン、下ペーパン」と呼んでいたそうだ。上ペーパンのうち21区・北22区・南22区・東22区から成立。瑞穂になったいきさつはわからなかった。
旭山動物園の入り口手前のY字分岐を旭川21世紀の森方面へ、道道295号瑞穂旭川停車場線を約10.7km進み、水神宮の小さな看板を右折し約600mを左折、約3.3km進むと大きな看板があるのでそこを右折し砂利道を進むとある。



2021 (令和3)年5月再訪してきました。

水神宮は、大正中期に加藤久五郎によって祀られ、この祠の横からは湧き水が流れ出ていて地元で人気の湧水である。
現在の水神宮の小堂は、1929(昭和4)年に建立されたそうだ。
明治時代から枯れることなく湧出している水で、言い伝えでは「病に臥せっていた先人がこの水を飲むことによって病気が治った」(特に目の病)と語り継がれ、霊験あらたかな御神水として大切に守られている。
毎年4月15日はこの水神宮の祭日として毎年斎行されている。
取水口は一つで水量も多くはない。
しかし、大量のポリタンクを持ち込む人が押しかけ、1時間待ちも当たり前という噂もあるほどだ。
施設の維持管理は賽銭によって賄われている。

瑞穂は、1937(昭和12)年〜1963(昭和38)年までの行政字名。豊田・米原・瑞穂地区は、総称して「ペーパン(米飯)」と呼んでいる。これはアイヌ語で「ぺ・パン」(水・飲む)と、「ペー・パン・ペッ」( 水・あまい・川)のペッ(pet 川)が略された説の二説がある。もちろんお米づくりが盛んである。昔は「上ペーパン、下ペーパン」と呼んでいたそうだ。上ペーパンのうち21区・北22区・南22区・東22区から成立。1963(昭和38)年からは、旭川市と東旭川町が合併し旭川市東旭川町瑞穂となる。
 1869(明治2)年蝦夷地を北海道と改称、石狩川筋神居古譚以北を石狩国上川郡とする。1877(明治10)年鈴木亀蔵(通称 亀吉)、上川郡初の和人定住者となり、交易雑貨商をを営む(上川最初の和人定住者)。1886(明治19)年空知太(現・滝川)〜忠別太(現・旭川)まで囚人の労役により上川仮道路開通する。1890(明治23)年上川郡に旭川・神居・永山の三村を置く。1891(明治24)年永山村(現・旭川市永山)に屯田兵400戸入地する。1892(明治25)年8月旭川村(現・東旭川)に屯田兵400戸入地する(下東旭川兵村 第三大隊第三中隊200戸。上東旭川兵村 第三大隊第四中隊200戸入地)。1894(明治27)年クラロマナイ川から延長1200間の灌漑溝を掘る。1897(明治30)年上川郡役所を旭川に移転開庁。字ウシシュベツ(東旭川)を永山村に編入。1898(明治31)年9月東旭川村を置く。上ペーパンに福島県伊達郡大田村(現・伊達市保原町)の三代目村長菊田熊之助を団体長とし、近隣村を含めた128戸が入植したのが始まり。伊達郡は、江戸時代を通じて養蚕業が発展していたこともあり、1909(明治42)年入植者は養蚕農家独特の家をつくった。1900(明治33)年旭川村を旭川町と改称。1903(明治36)年射的山(現・旭山)に稲荷の祠を祀り稲荷山と呼称した。1904(明治37)年屯田兵制度廃止する。5月越中団体10戸、宮城団体数戸移住する。1908(明治41)年5月簡易教育所(現・東旭川公民館 瑞穂分館)を設置する。
 1912(大正元)年国有林字クラロマナイ(現・旭山)、44町歩の払い下げを受ける。1922(大正11)年11月石北線(後の石北本線)旭川〜愛別間開通。新旭川駅・東旭川駅・桜岡駅・当麻駅・愛別駅を新設。
 1929(昭和4)年水神宮の小堂建立する。1937(昭和12)年上ペーパンのうち21区・北22区・南22区・東22区が瑞穂となる。成立時の世帯数は163戸。1947(昭和22)年米原に東旭川村役場出張所が置かれる。簡易教育所を旭川第六小学校に改称し、第一中学校瑞穂分校を併置する。1954(昭和29)年中学校は瑞穂中学校として独立する。昭和20〜28年にかけて23戸入植する。1963(昭和38)年東旭川町と合併し旭川市東旭川町瑞穂となる。1967(昭和42)年旭山動物園開園。昭和43年から昭和47年にかけてペーパンダムの調査が行われる。1973(昭和48)年養蚕民家を旭川市文化財に指定。1974(昭和49)年からペーパンダムの工事に着手する。1983(昭和58)年旭川第六小学校休校。1987(昭和62)年3月旭川第六小学校閉校。
 養蚕民家を長く保存するため、1990(平成2)年から1年かけ解体・復元を行い、萱もそのときに葺き替えられた。1997(平成9)年ペーパンダム竣工する。
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