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北海道 スキー発祥の地

住所 旭川市近文6線3号

社団法人 旭川観光協会

財団法人 旭川市公園緑地協会

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春光台公園のパークゴルフ場のそばには、旭川観光協会が、1971(昭和46)年に設置した「北海道スキー発祥之地」碑がある。
「メテレスキー(スキーを履け)!」日本のスキーはこの一言から始まったと言われている。
テオドール・エードラー・フォン・レルヒ(Theodor Edler von Lerch, 1869年8月31日- 1945年12月24日)
日本で初めて本格的なスキー指導を行った、オーストリア・ハンガリー帝国の軍人で、日本ではレルヒ中佐で知られている。
1910(明治43)年11月に来日し、日本陸軍のスキー技術向上を目的として新潟県高田(現在の上越市)にある高田歩兵第58連隊の営庭や、高田の金谷山などで指導をおこなったのが始めとされ1年間ほど滞在したそうだ。
現在、新潟県上越市高田の金谷山には日本スキー発祥記念館が設置されている。

1912(明治45・大正元)年2月には、北海道の旭川第七師団へのスキー指導のため旭川市を訪れている。
師団近くの春光台で、将校たちにシュテム・ボーゲンやテレマーク・ターン、ジャンプなどを指導する。
これが 北海道におけるスキーの発祥とされる。
当時のスキーは、今のように2本のストックではなく、長い1本の杖でバランスをとって滑るもので、現在主流の杖を2本使うスキー術のひとつ、「アールベルクスキー術」は1930(昭和5)年のハンネス・シュナイダーの来日で広まったそうだ。

碑文
北海道 スキー発祥之地
春光台地は北海道に於けるスキー発祥の地なり
明治四十五年ニ月旧第七師団にてたまたま在日中のオーストリア人レルヒ中佐
を招き始めて将兵をしてスキー術の指導を受けしむ
これ斯界今日の隆盛を見るの濫觴たり
依ってこの小碑を建てて之を後に伝ふ
  昭和四十一年六月



ちなみに、日本に初めてスキーが持ち込まれたのは、1895(明治28)年。
松川敏胤大尉(後に大将)がスカンジナビアからスキー板を日本に持ち帰った、あるいは日清戦争時の戦利品として持ち込んだなど諸説はあるがこれが日本初と言われている。

「春光台公園」とは、旭川市の中心部から5kmほど北に位置し、なだらかな丘陵地に帯状に設けられ眺望が綺麗な公園である。
旧日本軍の演習地の一部を国から借り受け(その大部分は市有地として取得)、1949(昭和24)年に都市計画が出たが未整備で樹木も少なかった。
1970(昭和45)年から「市民の森」として地元市民の手で約1800本の樹木を植栽、そのときの名残であろう錆びた看板が公園内に点在している。
1983(昭和58)年からは キャンプ場・冒険広場・宝くじ遊園などが整備され市民に広く利用される公園となっている。

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