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旭山 立木大師堂

住所 旭川市東旭川町旭山

一般社団法人 旭川観光コンベンション協会

旭山動物園

旭川の地名の由来は、アイヌ語で忠別川「チュプ・ペッ」(日・川)の意味で、「日」を「旭」に置き換えて「旭川」と意訳した。
旭山は最初、屯田兵の射撃の演習場があったことから射的山と呼ばれていた。1903(明治36)年、中腹に稲荷神社を建立。大正末期まで稲荷山と呼ばれていた。
キトウシ山脈の突端、海抜295メートルの旭山、盆地に突出した丘陵地で、眺望に優れている地形から、1912(明治45)年、国有林であった山一帯を買収し公園となったのが始まり。
この公園は、大正時代に入植した屯田兵が1000本の桜を植えたのが始まりだそうで、現在は約2300本のエゾヤマザクラが植えられていて、桜の名所として知られ、春は多くの市民で賑わい、桜の時期はライトアップもされる。
旭山公園売店よこの道路を山頂方面に約270m、徒歩で約4分ほど進むとある。
立木大師堂は、1920(大正9)年春、阿波の国から仏師、福山礼蔵がやってきた。
この礼蔵は、後に旭山寺の檀家となる川上儀太郎宅を訪れ、居座り寝食を共にするようになり昼間から酒を飲むようになった。
川上儀太郎は困ったが酒を飲んだ後、夜な夜などこかに姿を消す礼蔵を不思議に思っていたという。
毎晩、どこかに消える礼蔵はローソクの火を頼りに直径1.5mもあるナラの大木の中腹(地上から約6mほど)にノミ一丁で修行大師を彫っていたのである。
修行大師を彫り続け、4ヶ月目のある秋の日、礼蔵は忽然と姿を消したそうだ。
後日、この修行大師を見つけた川上儀太郎は村の有志と共に浄財を集め、1920(大正9)年10月開眼法会を執行したそうだ。
1930(昭和5)年の台風で、ナラの大木は大師像の笠の上あたりから折れてしまったが、「立木大師」として安置された。
1955(昭和30)年に「旭山立木大師堂」として新たに建立された。


お堂の向かいには、藤田旭山句碑もある。

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