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徳富蘆花文学碑

住所 旭川市末広8条1丁目旭川実業高校敷地内

社団法人 旭川観光協会

実業高校に問い合わせてから向かったのですが、連絡は特に不要とのこと。
校舎を前にして、左手の方に碑がある。
学校内の為マナーは守って欲しい。
小説「寄生木」の主人公 小笠原善平を偲んで詠んだ歌碑がある。


「春光台腸断ちし若人の
偲びて立てば秋の風吹く」
揮毫 赤石 蘭邦筆
碑石 黒御影石 高さ 2.2m幅1.2m
1991(平成3)年9月21日建立

春光台「寄生木」歌碑解説
明治四二年一二月、小説「寄生木」が出版さ
れた。明治大正の文豪と言われた徳富蘆花
の作品である。旭川第七師団に所属していた陸軍
中尉小笠原善平は乃木将軍から受けた恩義を
大樹とし、それによって育った自らを寄生木に模し
蘆花に小説にするよう依頼する。乃木将軍の書生
から身を起し将来を嘱望された善平は後見人小
笠原中佐の娘勝子と許婚の仲となる。
善平は日露戦争に出征し戦功を立てるが、一方
戦争の悲惨も体験する。勝子の父からの絶縁の便りに接し
春光台上で悩む、病魔にも犯され失意の善平
は故郷の宮古市に戻り、二八才の自らの若い
命を絶つ、明治四三年九月蘆花は妻子と
共に来旭し春光台に登り
「春光台腸断ちし若人の偲びて立てば秋の
風吹く」の歌を詠み善平を偲んだ。小説「
寄生木」は大正中期まで六十数版を重ねた。


この他にも蘆花 寄生木ゆかりの地碑が春光台公園内にある。

徳冨蘆花(とくとみろか)とは、1868(明治元)年12月8日(10月25日) - 1927(昭和2)年9月18日、本名は徳富健次郎で、小説家。
熊本生まれ、1889(明治22)年、東京民友社に入社し1902(明治35)年まで勤務。
小説『不如帰』がベストセラーになり、随筆『自然と人生』はその文章が賞賛され、人気作家となる。
「思ひでの記」「自然と人生」「黒潮」「富士」「みみずのたはごと」などの作品もある。
旭川には、1903(明治36)年・1910(明治43)年と取材に訪れ、当地を舞台に「寄生木」を書く。
1927(昭和2)年、病に倒れ享年満58歳で亡くなる。
死後旧邸宅は東京市に寄贈、現在は蘆花恒春園(住所 世田谷区粕谷1-20-1)として開放されている。

小笠原善平とは、1881(明治14)年生まれ、1897(明治30)年、16歳で山口村(現・岩手県宮古市山口)を出奔し、乃木将軍の厚い庇護を受け、仙台・台湾・東京・北海道、日露戦役に出征し、1908(明治41)年、28歳で逝く。
その自伝は、徳富蘆花により小説「寄生木」の主人公篠原良平として広く知られている。

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