山崎興吉歌碑住所 旭川市東山男山株式会社 社団法人 旭川観光協会 旭川文学資料館 旭川の地名の由来は、アイヌ語で忠別川「チュプ・ペッ」(日・川)の意味で、「日」を「旭」に置き換えて「旭川」と意訳した。 国道40号線を旭川市街地から約12kmほどに突哨山(とっしょうざん)があり、男山自然公園がある。 40haの道内最大級のカタクリ群生地で毎年4月の下旬に開放される公園で毎年多くの観光客で賑わう。 カタクリとエゾエンゴサクの混じり合った群生がほとんどで、道内最大級の規模。 公園の入り口付近(下方面)には水芭蕉の群落もみられとても綺麗である。 公園の頂上付近には社が祭られており、横には一辺30cm、高さ1.6mの四角柱の歌碑がある。 正面に「福地來」、裏に「大正四年乙卯仲秋建之 山崎興吉」 左右それぞれ「秋も過ぎいつしか雪に折れ笹の来るのどかさの日をぞまつらむ」と、「涼風に若葉うづみつオショ山雪折笹も音なく生けり」 碑にコゲのようなものがあり燃やされたのであろうか、いたましいことである。 山崎興吉(やまざき よきち)とは、1855(安政2)年 - 1930(昭和5)年、新潟県南蒲原郡の出身で歌人・蔵元・町議会議員。 男山株式会社の前身である山崎酒造を、1899(明治32)年に旭川で創業した。 1882(明治15)年、本格的な開拓が始まったばかりの北海道に渡り、札幌の造り酒屋での修行を経て、1886(明治19)年に独立。 1899(明治32)年、請われて旭川へと移り、山崎酒造を興した。当時旭川では山崎酒造も含めて5軒の造り酒屋があったそうだ。 1914(大正3)年、石灰の生産にも取り組むなど、多角経営に非凡な才覚を発揮。 1920(大正9)年、開市30周年功労者として表彰。 初代・與吉氏が誕生させた銘酒『今泉』は、『今与旭』、『亀甲長』と名を改め、『男山』へと変わったそうだ。 1968(昭和43)年、元祖男山である伊丹の山本家末裔から正統の印である印鑑ならびに印鑑納め袋が、三代目・與吉社長に継承され、新社屋竣工とともに社名を男山株式会社と改めた。 現在その石灰工場跡地は、2000(平成12)年5月に突哨山周辺を旭川市と比布町が買い上げ、男山自然公園として季節限定ながら一般に公開されている。 男山株式会社とは、旭川市の酒造メーカーで、全国各地に「男山」を名乗る酒は数多いが、旭川の「男山」が本家である。 敷地内には、旭川の観光名所の一つである「男山酒造り資料館」を併設し、見学無料で試飲もできる。 外には酒造に使われる大雪山の伏流水「延命長寿の水」が湧き出ていて、自由に飲むことができ、市民や観光客に親しまれている。 正統・男山の起源は、1661(寛文元)年、男山八幡宮からその名をとり、創設したのが始まりとされている。 1697(元禄10)年には伊丹市内の酒造家で町の政治を担う「惣宿老」の称号を獲得し、「御免酒」にもなった。 江戸幕府からは徳川将軍家御膳酒にそれぞれ指定された。 そんな伊丹の男山も1830(天保元)年頃には、灘・伏見の酒に人気が移り、明治初頭には廃業することとなる。 その際に「男山」のブランドを切り売りすることになり、全国にさらに多くの「男山」を名乗る蔵元ができた。 男山株式会社が製造しているのは「北海男山」であるが、山崎酒造が伊丹の山本本家の末裔を訪ね当てたことで、正統男山が北の町・旭川で復活。北海男山が正当な男山の末裔とされている。 男山八幡宮とは、現・石清水八幡宮であり、京都府八幡市にある神社。 清和天皇(在位858〜876)が宇佐八幡(大分県宇佐市)の神霊を勧請したのが起源とされ、標高143m山上に鎮座する。 突哨山(とっしょうざん)とは、旭川市と比布町にまたがる標高243mの山で、日本最大級のカタクリ群生地として有名である。 カタクリ(片栗)とは、ユリ科カタクリ属に属する多年草で森林内、林縁部に生える小さな花。 早春に10cm程の花茎を伸ばし、薄紫から桃色の花を先端に一つ下向きに咲かせる。開花時期は4月下旬〜5月上旬。約2週間ほど。 エゾエンゴサク(蝦夷延胡索)とは、ケマンソウ科キケマン属の多年草で、北海道から東北地方に分布し、森林内、林縁部に生える小さな花。 早春に10〜20cmほどの花茎を伸ばし、薄青から薄紫の花を咲かせる。葉は楕円形の小葉3枚からなる。開花時期は4月下旬〜5月上旬。約2週間ほどでカタクリよりやや早く咲き始める。 ミズバショウ(水芭蕉)とは、サトイモ科ミズバショウ属の多年草で、開花時期は融雪後の5月から6月にかけて。 葉がバショウ(芭蕉)の葉に似ているので、この名前になったそうで、白いのは花ではなく仏炎苞(ぶつえんほう)、花は中心部の黄色いところについている。 国道40号線とは、旭川市から稚内市へ至る一般国道で、総距離は295.2km。 大きな地図で見る |