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旧深名線第3雨竜川橋梁

住所 雨竜郡幌加内町字政和

幌加内町観光協会

雨竜とは、アイヌ語の「ウリロベッ」(鵜・そこに群在する・川)が転訛しもので、雨竜川の河口に多くの鵜が生息していたことから。
幌加内町の由来は、アイヌ語の 「ホロカナイ」(逆戻りする川)で、町の南部を流れる幌加内川を指した。
政和の由来は、1922(大正11)年に正和となり、深名線開通時に政和に改名された。
国道275号線を幌加内町市街地から約12.0kmほど。道の駅 森と湖の里ほろかないから約500mほど。
旧深名線の跡地で、雨竜川上流の渓谷、ポンカムイコタンにかかっている第3雨竜川橋梁と呼ばれる鉄橋である。
廃線後の2004(平成16)年に撤去が始まろうとしたが、地元団体の働きかけで、2007(平成19)年、幌加内町の観光地にするべく撤去中止が決まる。
2009(平成21)年10月15日、2009年度選奨土木遺産の一つとして選ばれた。
選奨理由は「道内初の吊足場式架設工法の採用と輸入鋼材鈑桁の転用など、経済性と工期短縮を考慮した昭和初期の地方鉄道線建設を伝える橋梁であります。」とのこと。
全長約101m、1931(昭和6)年に竣工し、ケーブルエレクション工法を道内で初めて採用した。
ケーブルエレクション工法は、鉄塔間に張り渡したケーブルで橋体を支持し架設する工法で、架設地点が渓谷や河川など、移動式クレーンの進入が困難な場所で両岸に鉄塔、アンカーの設置が可能な場合に組み立てた橋を両端の柱からケーブルで吊り下げてかける方法で、旧深名線最大の難関工事だった。
国道275号線沿いから見ることができ、そばには駐車スペースもあり保存会による案内看板や、碑がある。


渡部義雄君弔魂碑
当時のポンカムイコタンの渓谷に橋梁を建設するのは大変困難な工事だったそうだ。
1928(昭和3)年、2月に着工したこの工事は3年も掛かったが、1931(昭和6)年5月10日、完成のその日に技術主任である渡部義雄(29歳)が多くの作業員が見守る中、最後の作業を行ったとき雪解けで増水した激流の川に転落したそうだ。
1932(昭和7)年11月、当時の鉄道省北海道建設事務所員一同で碑を建立した。


深名線とは、国鉄(北海道旅客鉄道(JR北海道))が運営していた鉄道路線で、深川市の深川駅で函館本線から分岐し、雨竜郡幌加内町を経て名寄市の名寄駅で宗谷本線に接続していた。
大赤字の路線ではあったものの、並行道路の未整備を理由に廃止保留となったが、1995(平成7)年9月に廃止となった。
1924(大正13)年、10月深川〜多度志間を雨龍線として新規開業。多度志駅を新設する。
1926(大正15)年、11月多度志〜鷹泊間を延伸開業し、幌成駅・鷹泊駅を新設。
1929(昭和4)年、11月鷹泊〜幌加内間を延伸開業し、沼牛駅・幌加内駅を新設。
1931(昭和6)年、 9月幌加内〜添牛内間を延伸開業し、雨煙別駅・政和駅・添牛内駅を新設。10月幌加内線と改称。
1932(昭和7)年、10月添牛内〜朱鞠内間を延伸開業し幌加内線が全通する。朱鞠内駅を新設。
1937(昭和12)年、11月名寄〜初茶志内間を名雨線として新規開し、西名寄駅・初茶志内駅を新設。
1941(昭和16)年、10月初茶志内〜朱鞠内間を延伸開業し、幌加内線に名雨線を編入して深川〜名寄間を深名線と改称する。北母子里駅・白樺駅・蕗ノ台駅・宇津内駅を新設。
1975(昭和50)年、2月蒸気機関車の運転を廃止。
1982(昭和57)年、11月全線の貨物営業を廃止。
1987(昭和62)年、4月国鉄分割民営化に伴い北海道旅客鉄道が承継。
1995(平成7)年、9月深名線廃止、JR北海道バスに転換される。

国道275号とは、札幌市から枝幸郡浜頓別町に至る一般国道で、総距離314.2km。

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