岩尾内ダム住所 士別市朝日町岩尾内ダム便覧 国土交通省 北海道開発局 旭川開発建設部 名寄河川事務所 士別観光協会 士別の由来は、アイヌ語の「シペッ」(大いなる川・または本流、親川)の意味で、母なる天塩川がこの地の発展の源であった。 2005(平成17)年9月、朝日町と合併し士別市となった。 読みが同じ標津町と区別するため「名寄士別」と呼ばれる。 朝日町の由来は、1949(昭和24)年、8月上士別村上士別(現・士別市上士別町)から上士別村字奥士別を分村独立する際、上士別の東にあり朝日が一番早く昇る、という意味で朝日村と命名した。 岩尾内の由来は、アイヌ語で「イワ・オ・ナイ」(岩山の川)からで、ダムサイト直上流の右岸側に岩尾内沢と呼ばれる沢があり、この沢の名から取った。 道道61号士別滝の上線沿いにあり、朝日町市街地から約9.8km。上紋峠方向の道道101号下川愛別線と道道61号士別滝の上線の交差点から朝日町方向に5.2kmほど。 天塩川上流を堰きとめたダムで、周辺にはキャンプ場が整備され、湖では、釣り、カヌー、ボートなどを楽しむことができる。 岩尾内ダムは、1963(昭和38)年度建設省予算に岩尾内ダム実施設計費が計上され、岩尾内ダム建設が決定。同年4月、朝日町市街に「旭川開発建設部岩尾内ダム調査事務所」が開所され、1965(昭和40)年4月「岩尾内ダム建設事務所となり工事が着工された。 ダム建設の起工式は、1967(昭和42)年7月20日、定礎式は8月25日に現地で行われ、5年余りの歳月と総工費71億3000万円を投じた岩尾内ダムは、1970(昭和45)年11月2日岩尾内大橋上に集まった工事関係者、期成会役員などが参加し放水路の締め切りゲートが下され湛水を開始した。 1971(昭和46)年4月岩尾内ダム管理所が設立され完成した。 ダム堤頂から橋を渡ってすぐのところには岩尾内ダム管理所があり、ここではダムを安全で確実に機能するよう施設や設備の点検・補修、水位の調査(ダムや河川の情報を常に把握し、監視している)、水質の調査、周辺の見回りなど管理している。 館内では、2階でダムの歴史、ダムの役割やしくみを分かりやすくパネル展示。併せて展望台にもなっており、そこからの眺めがおすすめである。 岩尾内ダムは、多目的ダムで洪水調節により水害の被害軽減、利水調節によるかんがい用水(受益面積1万4687.6ha)など渇水の軽減に大きな役割を果たしている。 型式は、重力式コンクリート、高さ58m(標高322.5m)、堤頂長448m、総貯水容量1億770万立方m。 また、生活用水(給水区域士別市)や、水力発電(最大出力1万3000kW、年間発電量 4万2590MW/h)など地域に貢献するダムである。 ダム湖である岩尾内湖には、道道61号士別滝の上線の岩尾内大橋がダムサイト脇の湖を横切っている。 湖畔には、岩尾内湖白樺キャンプ場があり、白樺に囲まれた自然の中で湖を眺めながらゆったりとした時間を堪能できる。 開設期間 5月1日〜10月31日 管理人は9時〜17時駐在している。 周辺施設 水洗トイレ、シャワー、ランドリー、炊事場、公衆電話、売店など。 キャンプ場(フリーサイト)は、予約・受付不要で、料金は無料。 芝生のサイトに自由に車を乗り入れることができるそうだ。 バンガロー(8畳)3棟 予約が必要(管理棟 TEL 0165-28-2880)受付は17時まで 料金 1棟3000円 1857(安政4)年、松浦武四郎が天塩川を遡り、ペンケヌカナンブに至る。 1879(明治12)年、天塩国6郡、上川・中川・利尻・天塩・焼尻・苫前の郡役所が留萌に置かれる。 1881(明治14)年、郡役所増毛に移され増毛外5郡役所となる。 1897(明治30)年、6月天塩国上川郡に剣淵村・士別村・多寄村・上名寄村が設置、戸長役場は天塩村に設置。 1899(明治32)年、5月天塩国上川郡4カ村は上川支庁に編入、剣淵村に剣淵外3カ村戸長役場が置かれる。 1900(明治33)年、8月和寒まで開通していた官設鉄道天塩線(現・宗谷本線)が士別まで開通し、剣淵・士別駅を新設する。 1902(明治35)年、9月士別戸長役場設置する。 1905(明治38)年、士別市字士別御料農地区画が貸し下げになり開拓が始まる。(1線〜9線)朝日町の開基となる。 1906(明治39)年、御料地5線に佐藤商店が開店(商店の始まり)。9線神社建立され朝日町の神社の始まりとなる。 1908(明治41)年、4月士別第五簡易教育所開校(現・士別市朝日町中央4050 糸魚小学校)。 1909(明治42)年、本通37号(現・士別市朝日町中央4051)で水稲の試作が行われる。 1910(明治43)年、7月ペンケ殖民地(乙1線)に入植始まる。12月御料地3線に奥士別駅逓所が設置される。 1913(大正2)年、4月上士別村が士別村より分村独立する。9月7線で澱粉工場操業する。御料地市街(現・朝日町市街地)の貸下げが始まる。 1917(大正6)年、11月御料地25線にニイサマップ駅逓所が設置される。 1919(大正8)年、5月天塩川が氾濫し、開村以来の大水害となる。 1920(大正9)年、士別〜上士別間に馬車鉄道が開通する。 1925(大正14)年、上士別〜奥士別間に馬車鉄道開通する。 1926(昭和元)年、8月市街地に電灯が点く。(98戸、100燈・街路灯16燈) 1928(昭和3)年、9月馬車鉄道の動力が蒸気機関車になる。 1929(昭和4)年、8月九線神社が5線に移され糸魚神社となる。(現・朝日神社) 1930(昭和5)年、5月士別森林鉄道敷設工事が奥士別を起点に着工する。 1931(昭和6)年、ペンケヌカナンブ移民地(三栄地区)の入植始まる。新奥士別移民地(茂志利地区)の入植始まる。 1945(昭和20)年、9月戦後開拓者12戸63名ペンケ中の沢に入植する。 1948(昭和23)年、6月自家水力発電により似峡地区に電燈が点く。 1949(昭和24)年、8月朝日村、上士別村から分村独立する。10月朝日似峡間にバス運行開始。 1951(昭和26)年、12月天塩川電源開発期成会が結成され、岩尾内ダム建設陳情に乗り出す。 1952(昭和27)年、士別〜朝日間道路冬期間の除雪が行われるようになり、バスが通年運行になる。 1954(昭和29)年、7月士別町・上士別村・多寄村・温根別村が合併し、士別市となる。 1959(昭和34)年、11月道道101下川愛別線、朝日〜愛別間開通する。12月バス路線全線通年運行となる。 1962(昭和37)年、1月町制が施行される。10月道道61号士別滝の上線が開通する。 1963(昭和38)年、38年度国家予算に、岩尾内ダム実施設計書が計上され、岩尾内ダム建設工事着工される。 1967(昭和42)年、3月似峡小中学校が廃校となる。7月岩尾内ダム建設起工式挙行。 1970(昭和45)年、11月岩尾内ダム方水路にゲートが下ろされ湛水開始する。 1972(昭和47)年、11月道道101下川愛別線、朝日〜下川間開通する。 1978(昭和53)年、1月天塩岳道立自然公園に指定される。 1983(昭和58)年、6月ポンテシオ発電所運転開始。10月天塩岳ヒュッテ完成。 1984(昭和59)年、10月岩尾内湖展望台完成。 1988(昭和63)年、8月天塩岳避難小屋完成。 1991(平成3)年、10月天塩岳避難小屋にトイレ完成。 2000(平成12)年、12月岩尾内湖白樺キャンプ場管理棟完成。 2005(平成17)年、1月士別市、朝日町合併協定に調印する。9月1日士別市と合併し、士別市朝日町となる。 朝日町史、続朝日町史参考 |