北海道応援サイト!がんばれ北海道!!

苫前町華道発祥の地碑

住所 苫前郡苫前町古丹別241

苫前町

苫前町は、留萌管内中部に位置する町で、風力発電が盛んで北海道最大級の風力発電風車群は、圧巻である。
町名の由来は、アイヌ語のトマオマイ(エゾエンゴサク・ある・もの(場所)から。
古丹別は、アイヌ語のコタン・ペッがコタンベツに転訛したもの(集落・川)に由来する。
緑ヶ丘公園は、春は桜・初夏にツツジ・秋には紅葉と四季を通じて美しく変化を見せ、冬にはスキー場も開設される市民憩の公園である。
碑は、聖徳太子墓という場所の向かいにひっそりと佇んでいる。


碑文
故松月庵藤田湖風先生略歴
一、明治19年9月18日香川県三豊郡上高瀬村に生る
京都家元池坊に学び18歳で教授となる
一、大正4年11月10日北海道に移住農業開拓のかたわら道北の留萌管内に
華道を教授華道文化の先駆者となる
一、昭和21年2月15日苫前町古丹別198番地に61歳で病没
昭和55年8月9日
故藤田湖風先生没して55通年苫前町開基100年を記念し
門下生一同謹んで顕彰建立す
初代松風庵藤田湖風門下生一同
二代藤田湖風門下生一同

紀元前6000年頃、苫前町に人が住み始める。
紀元前800年頃、香川3線(遺跡)に集落ができる。
1634(寛永11)年、トママイ交易場所開かれる。
1670(寛文10)年、この年に書かれた「寛文拾年狄蜂起集書」に「ともまい」の地名がある。
1804(文化元)年、運上屋を建てる。
1804(文化元)〜1818(文政元)年、この頃間宮林蔵この沿岸を測量(伊能忠敬の全島沿岸実測図として完成)
1807(文化4)年、西蝦夷地が松前藩領から天領(幕府直轄領)になる。
1821(文政4)年、幕府、蝦夷地を松前藩に返還する。
1840(天保11)年、マシケ以北の出稼許可され、江差・福山・南部・津軽地方の漁民この地方に姿を見せはじめる。
1846(弘化3)年、松浦武四郎が初めて苫前を訪れ宿泊。
1855(安政2)年、蝦夷地が再び松前藩領から天領になる。
1856(安政3)年、松浦武四郎が天塩内陸踏査のため再び訪れる。
1857(安政4)年、松浦武四郎が天塩内陸踏査のため再度訪れる。
1858(安政5)年、苫前に一泊した翌日、古丹別川を遡り、イシカルンクシナイに止宿。(現・岩見付近)
1855(安政2)年、蝦夷地が再び松前藩領から天領になる。
1859(安政6)年、庄内藩の支配地となり陣屋を置く。
1864(元治元)年、大絵馬を奉納される(苫前神社に現存)
1876(明治9)年、子供たちに読み書きを教え寺子屋発祥となる。
1880(明治13)年、 3村(苫前村・白志泊村・力昼村)の長役場を苫前村に設置された。
1894(明治27)年、苫前郡苫前村が白志泊村を編入、苫前郡羽幌村(現・羽幌町)を分村する。
1896(明治29)年、古丹別原野に本州より団体移住する。
1897(明治30)年、苫前村の戸長役場が羽幌村戸長役場を分離する。
1902(明治35)年、苫前郡力昼村(りきびる)を編入、二級町村制、苫前郡苫前村となる。
1915(大正4)年、一級町村制施行される。留萌〜苫前間に乗合馬車が走る。三毛別羆事件が発生し7人犠牲になる。
1922(大正11)年、留萌−羽幌間乗合自動車営業始まる。
1923(大正12)年、国鉄羽幌線建設工事着工。
1928(昭和3)年、電灯が付き。ラジオが入る。
1931(昭和6)年、鬼鹿〜古丹別間の鉄道開通。
1932(昭和7)年、羽幌まで鉄道開通。
1934(昭和9)年、苫前船入潤(漁港)完成する。
1942(昭和17)年、霧立への森林鉄道開通。林業が本格化する。
1948(昭和23)年、町制施行、現在の苫前町となる。
1958(昭和33)年、国鉄羽幌線全線開通。
1983(昭和58)年、郷土資料館ができる。
1987(昭和62)年、国鉄羽幌線3月29日で廃止する。

寛文拾年狄蜂起集書とは、弘前藩の関係者によって書かれたもので、アイヌのコタンの戸数や有力者の名前など、アイヌ民族の様子が記録されている書物。
シャクシャインの戦い、1669年6月にシブチャリの首長シャクシャインを中心として起きた、松前藩に対するアイヌ民族の大規模な蜂起なども書かれている。

船入澗(ふないりま)とは、ハシケによる貨物の積み下ろし場のこと。

松浦武四郎とは、1818(文化15)年2月6日(3月12日)〜1888(明治21)年2月10日没
江戸時代から幕末・明治時代にかけて活動した日本の探検家、浮世絵師。
蝦夷地を探査し、北海道という名前を考案し「北加伊道」とつけた、後の北海道です。
1845(弘化2)年、初めて蝦夷地を訪れる。
この時の身分は、幕吏ではなく江差の商人を名乗って東西蝦夷地を探検し、『初航蝦夷日誌』を残している。
1850(嘉永3)年に3回の調査の記録を「初航蝦夷日誌」(全12冊)、「再航蝦夷日誌」(全14冊)、「三航蝦夷日誌」(全8冊)という題でまとめている。
これらの日誌には、蝦夷地の地形・地名・動植物・アイヌ民族の姿・松前藩による蝦夷地支配の実態などが詳細に記録されている。
個人として3度、幕府の役人として3度、計6度の蝦夷探検の膨大な記録が残っている。

大きな地図で見る
Copyright (C) がんばれ北海道 All Rights Reserved.
inserted by FC2 system