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上羽幌抗

住所 苫前郡羽幌町上羽幌

羽幌町観光協会

羽幌町の由来は、アイヌ語の「ハホロペツ(流出広大の川)」または「ハボロベツ(広大な川の流域)」から。
羽幌町の市街地から、道道747号線を東に約17km付近の山の中に集合住宅や貯炭場などが朽ち果てた状態で点在している。
当時国内有数の優良炭鉱とされ、最盛期には人口約1万3000人もの人が住んでいたが、1970(昭和45)年閉山となる。
羽幌炭鉱は、築別抗羽幌本坑・上羽幌抗の3鉱区からなり、1940(昭和15)年開業し、羽幌炭鉱鉄道株式会社が経営していた。
1961(昭和36)年、年間出炭量100万tを超え、1968(昭和43)年には年間出炭量が114万tにもなった。
羽幌炭鉱上羽幌坑は、3鉱区の中で最も南に位置し、1947(昭和22)年に開坑した。
その後、石油へのエネルギー転換に伴う特別閉山措置法を受け、1970(昭和45)年、11月に閉山した。

撮影日は2012年7月27日、草が生い茂り奥まで入るのは断念。
現在は、羽幌観光協会が、炭鉱遺構を観光資源として見直し、炭鉱遺構を巡るツアーを催したり沿岸ハイヤーでも案内してくれるそうだ。


近くには朽ちた炭住が残っていた。
道道747号上羽幌羽幌停車場線と道道741号上遠別霧立線の分岐から羽幌二股ダム方面に約600mほど進むと炭住跡がある。


1874(明治7)年、アメリカの地質学者ライマンにより調査が行われる。
1888(明治21)年、北海道庁が築別川炭層を調査する。
1894(明治27)年、苫前村から羽幌村が分離、行政区域として羽幌村が設置される。
1896(明治29)年、羽幌原野に福井・富山県から約400戸団体移住者入植、上羽幌へも数人が入植する。
1897(明治30)年、羽幌村戸長役場が設置される。(苫前村戸長役場から独立)、岡田佐助が馬そりにて露頭部より約1万tを採掘する。
1900(明治33)年、羽幌原野に官設渡船場(二ヵ所)設置。
1902(明治35)年、二級町村制施行、羽幌村役場と改称。
1903(明治36)年、羽幌・築別原野道路開削。
1908(明治41)年、吉尾松二・14名の名羽線踏査隊、羽幌から名寄へ。
1909(明治42)年、羽幌村に一級町村制施行。
1914(大正3)年、築別御料に三毛別炭坑発掘。
1916(大正5)年、佐藤寅吉による稲の試作が始まる。
1921(大正10)年、町制施行、羽幌町となる。
1923(大正12)年、国鉄羽幌線着工する。
1931(昭和6)年、古賀六郎に羽幌炭鉱開発の実地調査を命じる。名寄から名羽線踏査スキー隊来町する。
1932(昭和7)年、国鉄羽幌線(羽幌迄)開通する。
1939(昭和14)年、太陽産業株式会社の築別炭砿開発始まる。
1940(昭和15)年、築別炭砿開抗し、採炭始まる。羽幌炭鉱鉄道株式会社設立、羽幌炭鉱鉄道の工事着手。
1941(昭和16)年、羽幌炭砿鉄道開通する。国鉄羽幌線、羽幌〜築別間開通する。
1946(昭和21)年、ベントナイト採堀するが、まもなく中止。
1947(昭和22)年、羽幌二坑(上羽幌)の開発着手する。
1948(昭和23)年、羽幌本坑(三毛別)の開発着手、二坑を合併し三毛別に羽幌砿業所設置する。
1950(昭和25)年、築別炭鉱でストライキ起こる。
1953(昭和28)年、羽幌町の人口が2万人超える。
1955(昭和30)年、4月1日天売村を編入する。
1956(昭和31)年、石炭年産50万t突破する。
1958(昭和33)年、日本ベントナイト工業設立。
1959(昭和34)年、4月1日焼尻村を編入する。
1960(昭和35)年、豪雨のため羽幌鉱地区水害発生。
1962(昭和37)年、名羽線起工式挙行。国鉄名羽線(曙〜三毛別間3.9km)完成。羽幌本坑に第2選炭場完成。石炭年産100万t達成する。
1964(昭和39)年、羽幌町の人口3万人突破。
1965(昭和40)年、羽幌本坑に運搬立抗完成する。
1966(昭和41)年、羽幌ダム完成。
1968(昭和43)年、年間出炭量が114万tになる。
1970(昭和45)年、羽幌炭砿鉄道株式会社閉山(設立から30年で幕を閉じる)急激な人口減少。羽幌炭鉱鉄道廃止。
1971(昭和46)年、上羽幌小中学校廃校。
1974(昭和49)年、上羽幌、上流・下流部落合併する。
1978(昭和53)年、羽幌二股ダム完成。
1981(昭和56)年、国鉄名羽線工事凍結。
1982(昭和57)年、緑の村開村する。
1987(昭和62)年、3月30日に羽幌線廃止。国鉄における最後の路線廃止であった。
1997(平成9)年、羽幌100年記念式典を行う。
2000(平成12)年、羽幌緑の村閉鎖する。

道道747号上羽幌羽幌停車場線とは、苫前郡羽幌町を結ぶ一般道道で、総距離は20.3km。

道道741号上遠別霧立線とは、天塩郡遠別町より苫前郡羽幌町を経て苫前町を結ぶ一般道道で、総距離は44.2km。未開通区間16.3 km(遠別町正修〜羽幌町築別炭砿、羽幌町上羽幌〜苫前町霧立)

名羽線とは、名寄と羽幌を結ぶ予定だった路線で未成線である。
路線の目的は名寄と羽幌の連絡であるが、実際は羽幌炭坑鉄道の曙から深名線の朱鞠内の鉄道として建設されていた。羽幌〜朱鞠内(51.2km)
工事着工は、1962(昭和37)年、完成間近には炭坑は閉山され、全長3225mの苫竜トンネルを含む路盤の80%以上が完成していた。

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