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苫前 公共遭難者の碑

住所 苫前郡苫前町三渓

苫前町

古丹別市街地から道道1049号苫前小平線を約11km、三毛別羆事件跡地の手前になる。
当時の道路開削の苦労が偲ばれる碑である。
今は一帯が田んぼの広がる田園地帯となっている。


碑文
時、大正9年12月14日三渓道路
整備奉仕作業中、事故により遭難す。
爾来、この地苫前町農業の宝倉とな
るまでに至る、想いを遥か流難の情を
こころし当時をしのぶ時、先人の労苦と
尊い挺身により今日の発展あることを
感謝し部落民一同永遠の冥福を祈
り滋に道路拡張工事に伴い碑を再
新設す。
昭和55年8月吉祥日
三渓部落民一同
苫前町長 名畑隆雄書

紀元前6000年頃、苫前町に人が住み始める。
紀元前800年頃、香川3線(遺跡)に集落ができる。
1634(寛永11)年、トママイ交易場所開かれる。
1670(寛文10)年、この年に書かれた「寛文拾年狄蜂起集書」に「ともまい」の地名がある。
1804(文化元)年、運上屋を建てる。
1804(文化元)〜1818(文政元)年、この頃間宮林蔵この沿岸を測量(伊能忠敬の全島沿岸実測図として完成)
1807(文化4)年、西蝦夷地が松前藩領から天領(幕府直轄領)になる。
1821(文政4)年、幕府、蝦夷地を松前藩に返還する。
1840(天保11)年、マシケ以北の出稼許可され、江差・福山・南部・津軽地方の漁民この地方に姿を見せはじめる。
1846(弘化3)年、松浦武四郎が初めて苫前を訪れ宿泊。
1855(安政2)年、蝦夷地が再び松前藩領から天領になる。
1856(安政3)年、松浦武四郎が天塩内陸踏査のため再び訪れる。
1857(安政4)年、松浦武四郎が天塩内陸踏査のため再度訪れる。
1858(安政5)年、苫前に一泊した翌日、古丹別川を遡り、イシカルンクシナイに止宿。(現・岩見付近)
1855(安政2)年、蝦夷地が再び松前藩領から天領になる。
1859(安政6)年、庄内藩の支配地となり陣屋を置く。
1864(元治元)年、大絵馬を奉納される(苫前神社に現存)
1876(明治9)年、子供たちに読み書きを教え寺子屋発祥となる。
1880(明治13)年、 3村(苫前村・白志泊村・力昼村)の長役場を苫前村に設置された。
1894(明治27)年、苫前郡苫前村が白志泊村を編入、苫前郡羽幌村(現・羽幌町)を分村する。
1896(明治29)年、古丹別原野に本州より団体移住する。
1897(明治30)年、苫前村の戸長役場が羽幌村戸長役場を分離する。
1902(明治35)年、苫前郡力昼村(りきびる)を編入、二級町村制、苫前郡苫前村となる。
1915(大正4)年、一級町村制施行される。留萌〜苫前間に乗合馬車が走る。三毛別羆事件が発生し7人犠牲になる。
1922(大正11)年、留萌−羽幌間乗合自動車営業始まる。
1923(大正12)年、国鉄羽幌線建設工事着工。
1928(昭和3)年、電灯が付き。ラジオが入る。
1931(昭和6)年、鬼鹿〜古丹別間の鉄道開通。
1932(昭和7)年、羽幌まで鉄道開通。
1934(昭和9)年、苫前船入潤(漁港)完成する。
1942(昭和17)年、霧立への森林鉄道開通。林業が本格化する。
1948(昭和23)年、町制施行、現在の苫前町となる。
1958(昭和33)年、国鉄羽幌線全線開通。
1983(昭和58)年、郷土資料館ができる。
1987(昭和62)年、国鉄羽幌線3月29日で廃止する。

道道1049号苫前小平線とは、苫前町と小平町を結ぶ一般道道であるが、苫前町三渓から小平町寧楽までの区間は未開通である。
通称「ベアーロード」との別名がつけられ、道端に熊の絵が描かれた看板が見られる。

松浦武四郎とは、1818(文化15)年2月6日(3月12日)〜1888(明治21)年2月10日没
江戸時代から幕末・明治時代にかけて活動した日本の探検家、浮世絵師。
蝦夷地を探査し、北海道という名前を考案し「北加伊道」とつけた、後の北海道です。
1845(弘化2)年、初めて蝦夷地を訪れる。
この時の身分は、幕吏ではなく江差の商人を名乗って東西蝦夷地を探検し、『初航蝦夷日誌』を残している。
1850(嘉永3)年に3回の調査の記録を「初航蝦夷日誌」(全12冊)、「再航蝦夷日誌」(全14冊)、「三航蝦夷日誌」(全8冊)という題でまとめている。
これらの日誌には、蝦夷地の地形・地名・動植物・アイヌ民族の姿・松前藩による蝦夷地支配の実態などが詳細に記録されている。
個人として3度、幕府の役人として3度、計6度の蝦夷探検の膨大な記録が残っている。

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