北海道応援サイト!がんばれ北海道!!

道の駅 びふか

住所 中川郡美深町字大手307番地1
TEL 01656-2-1000
開館時間 11〜4月は9時〜17時30分 5〜10月は9時〜18時
休館日 年末年始(12月31日〜1月2日)
レストラン 「あうる」 11月〜4月11時〜16時、5月〜10月は10時30分〜17時30分

美深町観光協会

中川の由来は、天塩川の中流にあることに由来する。
美深の由来は、アイヌ語で「ピウカ」(石の多い場所)から。
大手の由来は、アイヌ語の「オテレケオッペ 」(川尻・飛びはねる・いつもする・もの)「オテレコッペ」(そこから・飛び越す・いつもする・所 )。1936(昭和11)年7月に字名が改正され、当地が大きな手のような形をしていることから大手となった。
国道40号線美深市街地から音威子府方向に約8.7kmほど右手。

国道沿いに、イタリア人の建築家が設計した、中世ヨーロッパのお城風の建物が見える。この建物がメイン施設の物産展示館「双子座館」で、開駅は1993(平成5)年4月である。
裏手には、びふか森林公園、びふか温泉、キャンプ場、コテージなどアウトドアと満載の施設である。


美深町物産展示館「双子座館」では、1階は地場産品・近隣町村や姉妹都市である福岡県添田町の特産品などが並ぶ。土産類のほかに、くりじゃがコロッケなどのファーストフードも充実している。ほかにも、白樺の樹液ドリンク「森の雫」や、ソフトクリームも他にはない珍しいアスパラ、くま笹茶などもあり、美深の特産品が勢揃い。
2階にはメニュー豊富なレストラン「あうる」もあり、ジャンボあんかけ焼きそば、テムジン丼(ジンギスカン)、ふたご座セット、パスタ・めん類各種などがあり、カレーが人気だという。


また、珍しいチョウザメ美深チョウザメ館で見ることができ、チョウザメ料理も堪能できるそうだ。
TEL 01656-2-2595
開館時間 9時〜17時
休館日 毎週月曜日
入館料 無料

森林公園びふかアイランド
キャンプ場は、開設期間 5月上旬〜10月下旬まで、料金 大人(18歳以上)400円、小人(小学生)200円、幼児は無料。
オートキャンプ場は、開設期間 5月上旬〜10月下旬、料金1泊・1サイト(1台)2700円
他にもカヌー体験、ターフゲレンデ(そり滑り)、パークゴルフ場などもある。
TEL 01656-2-3688(管理棟)

大手は、1936(昭和11)年に字名地番改正からの字名である。元はオンネナイ・オン子ナイ・オンネナイ原野の一部。1857(安政4)年松浦武四郎が天塩川を遡り天塩国上川郡、中川郡を踏査する。この時「川の中に一条の岩石が立ち並んでいてあたかもテッシ(梁)をかけたようだ」といい、大昔鬼神が鮭を獲るために作った梁で、神聖な所だったという伝説があったと記している。「丁巳日誌」にはヲテレコツベと見られる。
 1880(明治13)年天塩村に天塩・中川・上川三郡を管轄する戸長役場が設置された。1888(明治21)年内田瀞、柳本道義らが植民地選定測量のため美深に入り調査する。1891(明治24)年北海道植民地選定報文が刊行、この中にピウカ原野・オンネナイ原野と書かれる。1897(明治30)年5月6日天塩鉄道(現・宗谷本線)旭川より着工。天塩村の戸長役場管轄から中川・上川両郡を分離する。1899(明治32)年平喜三郎開拓の鍬を下ろし、美深町開基となる。1901(明治34)年天塩国中川郡を上川支庁に編入、剣淵3ヵ村戸長役場所属となる。徳島県人笠原新吉が土地払下げを受け恩根内に入植。恩根内16線に官設渡船場設置。11月美深2線にピウカ駅逓所設置。駅逓取扱人に十亀庄平となる。1902(明治35)年11月オンネナイ駅逓所設置。取扱人に坂東高三郎となる。1903(明治36)年服部惣吉を代表とする徳島県渋谷村(現・不明)・生名村(現・徳島県勝浦郡勝浦町生名)の農民20戸が団体入植する。服部農場内に八幡神社建立する。1904(明治37)年5月恩根内7線に簡易教育所設置する。1905(明治38)年2月ピウカ駅逓所を川端駅逓所に改称する。オンネナイ駅逓所を森内駅逓所に改称する。簡易教育所は8線に移転(後の厚生小学校)する。1906(明治39)年中川郡に中川村設置、上名寄外3村戸長役場所属となる。中川郡は下名寄村・中川村の2村となる。大手戸数は30戸、113人。徳島県人の服部智信により真言宗高野山派の説教所(後の弘法寺・中川郡美深町字大手192)開設する。1908(明治41)年ピウカ駅逓所とオンネナイ駅逓所を9線に移設する。1909(明治42)年6月名寄〜恩根内間の鉄道敷設工事着工。1911(明治44)年11月3日名寄〜恩根内間を延伸開業、智恵文・美深・紋穂内・恩根内駅を新設。
 1912(大正元)年9月21日宗谷線に線名を改称。11月5日恩根内〜音威子府間を延伸開業、咲来・音威子府駅を新設。1914(大正3)年この頃馬鈴薯の生産が盛んになる。1920(大正9)年6月1日智恵文村分村、下名寄村を美深村と改称する。1922(大正11)年11月宗谷線を宗谷本線に改称。1923(大正12)年1級町村制施行し、美深町となる。
 1951(昭和26)年美深駅名「ぴうか」を「びふか」に改称。この頃から一部酪農へ転換する。戸数は53戸、343人。1966(昭和41)年厚生小学校はコンクリートブロック造りに新築する。この頃天塩川の築堤完成する。1980(昭和55)年美深森林公園内に林業保養センターびふか温泉オープンする。この頃オテレコッペ川の改修事業着手する。戸数は34戸、149人。1983(昭和58)年森林公園に下村湖人歌碑建立する。1984(昭和59)年美深温泉内にチョウザメ鑑賞水槽完成。
 1992(平成4)年物産展示館「双子座館」オープン。びふか温泉増改築する。1993(平成5)年美深アイランド「双子座館」を道の駅に指定する。1997(平成9)年びふかアイランドにチョウザメ館オープンする。1998(平成10)年松浦武四郎踏査之詩碑建立する。1999(平成11)年3月美深町立厚生小学校閉校する。校舎は美深町伝承遊学館として使用されている。
Copyright (C) がんばれ北海道 All Rights Reserved.
inserted by FC2 system