北海道応援サイト!がんばれ北海道!!珊瑠望郷之碑

珊瑠望郷之碑

住所 上川郡下川町北町 象の鼻展望台

しもかわ観光協会

上川の由来は、アイヌ語の「ペニ・ウングル・コタン」(川上の人々の集落)を訳したものである。
下川町の由来は、アイヌ語で名寄川支流パンケ川の沿岸を「パンケ・ヌカナン」(川下の・ヌカナン川)と称していたことから、意訳して「下川」とする。
珊瑠とは、地区内を流れるサンル川に由来し、アイヌ語の「サンルペシペ」(沙留・道・それに沿って下る・者)とされる。
国道239号線の下川町市街地から道道60号下川雄武線を約500mほど進むと木材会社がある。入口に小さな看板(象の鼻展望台)があるのでそこを山の方へ約2.5kmほど。



サンルダムを見渡すことのできる展望台があり、碑はそのそばにある。
この公園は、1985(昭和60)年に林野庁から買受けた旧国有林で、3年かけ完成した。
1988(昭和63)年にできた、標高238mの丘の上に建つ19.88mの展望台からは、下川の市街地、サンルダムも見える。しかしフプの森(木工場)のところからゲートが閉まっていることが多い。教育委員会によりと展望台には現在は行けないという話を頂いております。


ちなみに2012(平成24)年8月に行った時は、展望台の階段に穴などもありかなり危険だった。(現在展望台に上がれるかは不明)
展望台の下は、拓けていて以前は蝦夷鹿の牧場になっていたそうだが、現在は柵があるだけ。


碑文
古里えの
熱い思いを
此の湖に託す
天塩川水系サンルダム
珊瑠望郷之碑
2001年5月
記念碑建立者一同
碑は、高さ122cm、長さ176cm、御影石。

サンル地区は、「サンルペシベ」として江戸末期には松浦武四郎(天塩日誌)、明治初期には佐藤正克闢幽日記)による記録があり、名寄とオホーツク海を結ぶ峠道であったそうだ。
1901(明治34)年、岐阜県郡上郡高鷲村・北濃村(現・岐阜県郡上市)から25戸が、上名寄原野16線〜19線に集団移住し、下川の開拓元年となる。
その後、サンル入り口付近に小林四郎エ門が入植している。
当時はサンルベシベ御料地と呼ばれ、1917年にサンル川支流の鉱山沢川上流で金の露頭が発見されたことにより、鉱山としての開発が始まった。
珊瑠金山(さんるきんざん)とも呼ばれ、金、銀、珪酸鉱を産出した。
1926(大正15)年から1944(昭和19)年までの三井鉱山株式会社による珊瑠鉱山の操業中は、神社、劇場、商店なども設けられ、当時鉱業所の奨励で体育、スポーツなども盛んに行われ、全道選手として全国大会に出た人もいた。
最盛期の1940(昭和15)年には戸数、350戸、人口も1000人位の町となったが、戦争の激化により1943(昭和18)年、金鉱業整備令が公布され、1944(昭和19)年閉山し消滅した。
その後、1955(昭和30)年、9月磯部鉱業株式会社が権利を買い取り、10月珊瑠鉱業所として再開するが、小規模採鉱だった。
1986(昭和61)年、資源枯渇や金相場の下落により経営環境が悪化し、操業を打ち切り、7月合同資源珊瑠鉱業所の休山。
その他の地域は農林地帯として発展し、木工場や澱粉工場もあったが、サンルダム建設による水没予定地の立ち退きのため全戸移転、無住地となり1999(平成11)年3月31日に珊瑠公区が廃止となった。
現在も水力発電所、坑道、流下式選鉱場、3沈殿池が山中に残っているそうだ。

1917(大正6)年、サンル川支流サンル12線沢上流で、山下喜六・山本金作により露頭が発見されたが、当時の話では発見者は珊瑠7線の寺島庄次郎ではないかと言われている。
1919(大正8)年、成定市松・吉川鉄之介両名による個人共同経営が始まる。混汞法により精錬を開始する。
1924(大正13)年、6月斉藤ヤヱ名義で一鉱区出願する。
1926(大正15)年、三井鉱山株式会社が鉱区を買収し、珊瑠出張所を設ける。
1933(昭和8)年、珊瑠鉱業所となり精錬所完成する。会社の寄付により珊瑠第2小学校が設置される。
1934(昭和9)年、本格的な採掘が始まる。1日あたり処理能力50tの青化精錬所が稼動する。
1944(昭和19)年、金鉱業整備令が公布され閉山となる。珊瑠第2小学校が廃校となる。
1955(昭和30)年、9月磯部鉱業株式会社が権利を買い取り、10月珊瑠鉱業所として再開する。
1957(昭和32)年、ディーゼルによる自家発電を設け電力で操業するようになる。
1958(昭和33)年、年間産金量186.1kgを記録するがその後生産量は減っていく。
1965(昭和40)年、10月会社合併により合同資源産業株式会社磯部珊瑠鉱業所となる。
1969(昭和44)年、北電より6000Vの電力を買電し、自家発電を止める。
1976(昭和51)年、産出金量が30kg台にまで落ち込み、資源枯渇と珪酸鉱の需要減少により採鉱を中止し、探鉱をする。
1979(昭和54)年、採鉱を再開する。
1986(昭和61)年、3月操業を打ち切る。7月合同資源珊瑠鉱業所の休山。
(下川町史第1巻〜第4巻参考)

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