鉄道記念碑住所 上川郡下川町共栄町6しもかわ観光協会 上川の由来は、アイヌ語の「ペニ・ウングル・コタン」(川上の人々の集落)を訳したものである。 下川の由来は、アイヌ語で名寄川支流パンケ川の沿岸を「パンケ・ヌカナン」(川下の・ヌカナン川)と称していたことから、意訳して「下川」とする。 下川町の国道239号線と道道330号下川停車場線の下川町錦町の交差点をバスターミナル方向に約200mほど。 名寄本線は、1915(大正4)年に遠軽〜社名渕間が開通した事に始まる。 1917(大正6)年には名寄からの工事が始まり、1919(大正8)年、10月名寄線として名寄〜下川間の鉄道が開通した。 その後、両側から線路が延ばされ、1921(大正10)年、3月線路名を名寄西線に改称。 同年、10月上興部〜興部間が開業し、線路全通に伴い線路名を名寄線に改称した。 1978(昭和53)年に第二次特定地方交通線として廃止承認され、1989(平成元)年、4月に廃止された。 現在、下川駅跡には「下川町バスターミナル合同センター」が建ち、センター前には「鉄道記念碑」という名寄本線の沿革を記した碑が建てられている。 下川町バスターミナル合同センターは、以前は名寄本線下川駅だったが、名寄本線廃止に伴うバス利用者等の利便を図るとともに、交通資料の保存展示などを目的として1991(平成3)年1月に開設された。 バス待合室やトイレ等が設置され、エントランスホールには鉄道コーナーがあり駅に関連する写真など展示されている。 裏手の広場には、気動車の2両編成が展示され、簡易宿泊施設である気動車となっている。 名寄本線の沿革 大正4年 石丸滝蔵・稲田梅次郎・比滝三郎 末武次郎吉・市村甚助等が建設陳情 6年6月 名寄西線として工事を着手 8年10月20日 名寄・下川間開通上名寄・下川駅開設 10年10月5日 興部まで開通・名称を名寄線に改称 北海道重要幹線の一つとして 名寄線に函館発 網走行きの急行列車が運行される 12年11月5日 名寄線を名寄本線と改称 昭和7年10月1日 石北線全通により函館発網走行きは 名寄本線経由が変更される 31年5月7日 一の橋大火にて一の橋駅鉄道宿舎14戸類焼 37年5月1日 遠軽・札幌間に急行「紋別」旭川・遠軽・名寄間に 循環急行[旭川]が運転 50年12月 SL(蒸気機関車)運行廃止気動車(ディーゼルカー)が 運行の主流となる 55年4月17日 「日本国有鉄道再建促進特別措置法案」 国会上程により、名寄本線沿線市町村が 「国鉄名寄本線外地方交通線対策協議会」を 発足させ存続運動を展開 平成元年4月30日 名寄本線廃止「さよなら列車」運行 以降代替バス運航開始 先人の苦労を偲び、その偉業に感謝し、次代に 鉄道の歴史を伝承するとともに、未来への 希望と郷土下川の繁栄を願い、 ここに鉄道記念碑を建立する。 平成五年 下川町 |