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天売島フェリーターミナル

住所 苫前郡羽幌町天売弁天

羽幌町観光協会

天売島は、留萌振興局管内の苫前郡羽幌町にある羽幌港の西30kmの日本海に浮かぶ島で、焼尻島とともに羽幌町に属している。
面積は5.50km2、周囲約12q。
名前の由来は、アイヌ語の「テウレ」(魚の背腸)、もしくは「チュウレ」(足)に由来すると言われている。
最も高い所で標高185m、島には背の高い樹木はほとんどなく、丘陵一帯が低潅木と笹におおわれて全体になだらかな島。
天売島にはフェリーを利用、羽幌から焼尻島経由で約1時間20分の行程。


天売島の北西海岸は断崖が続き、ウミガラス(オロロン鳥)やウトウ、ウミウ、オオセグロカモメなどの海鳥の繁殖が確認されており、1938(昭和13)年、8月8日に「天売島海鳥繁殖地」として国の天然記念物に指定された。
1982(昭和57)年、3月31日には、国指定天売島鳥獣保護区に指定(面積546ヘクタール、うち特別保護地区117ヘクタール)されている。
天売島は、明治時代以降、入植者(ニシン漁従事者)による乱伐、山火事の発生により島内の森林の大半を喪失する状態にあった。
生活に必要な水資源に事欠くような状況となったため、第二次世界大戦後には治山事業により植林を開始して、厳しい自然環境の下、育成は困難を極めたが1990(平成2)年、8月1日周辺の暑寒別山系や焼尻島等とともに暑寒別天売焼尻国定公園に指定された。

おろろんレンタル
TEL 01648-3-5125(兼 自宅)
フェリーターミナルのすぐ裏手にあるレンタルショップ。
島を楽しむための足がそろっているだけでなく、釣り道具まであるというからうれしい。


1周10キロ程度で、道路は舗装されているので、島内はレンタサイクルやレンタバイクで簡単に周遊できる。
徒歩でめぐってもおよそ3時間ほどだという。
私は、100CCのレンタバイクを借りました、1時間2500円、30分毎時間超過で、料金プラス500円。


レンタル
自転車 ゆったりコース(半日)1000円 超過料金なし。
電動自転車 2時間 1500円 半日 2000円。
バイク50cc ゆったりコース(2時間)2000円 超過料金500円/30分・燃料付き
バイク50cc お急ぎコース(1時間)1500円 超過料金500円/30分・燃料付き。
バイク100cc ゆったりコース(2時間)3000円 超過料金500円/30分・燃料付き
バイク100cc お急ぎコース(1時間)2500円 超過料金500円/30分・燃料付き
レンタカー(軽自動車) 1時間まで3300円 超過料金1000円/30分・燃料付き

そして、レンタルショップの2階には天売郷土資料館・「天売ふる里館 森脇洋三コレクション」がある。
いまは見られなくなった骨董品が所狭しと並んでいる。
島の古き良き時代の空気が伝わってくるようで、実際に使われていた道具や生活用品を収集しているうちに、展示できる数になったという。
かつての生活を知る上で今や貴重な品々があり、乱雑に置いてあるがまたそれがいい。



毎年7月の下旬には、天売ウニまつりが開催され、獲れたてウニを激安価格で販売している。
島近海のウニや海産物がメインのイベントで、新鮮な海の幸をバーベキューして楽しめる。
土曜の夜には花火大会も開催するそうだ。

ターミナル裏には他にも、お土産屋などが数店舗並んでいる。

紀元前5000頃縄文時代前期 海の幸に恵まれた天売島に人が住み始める。(土器や石器が出土している)
900-1200頃 縄文文化(最後の土器文化)がこの島に及ぶ。(擦文文化)
1667(寛文7)年、「松前蝦夷図」に初めて「テウリエゾ」の名が現れる。
1786(天明6)年、島で漁場経営とアイヌ民族との交易を請け負う。このときの島民、アイヌ人12人。主な産物はニシン、アワビ、ナマコ、タラ、昆布など。
1786(天明6)年、6代栖原角兵衛、焼尻・天売・天塩場所の漁場請負を命ぜられる。
1792(寛政4)年、ニシン漁のために出稼ぎに来ていたアイヌ人23人が遭難。
1807(文化4)年、西蝦夷地、幕府領となりこの頃、天売とは無人島となり、焼尻・苫前・手塩のアイヌの出稼ぎ地となる。
1821(文政4)年、幕府、蝦夷地を松前藩に返還する。
1840(天保11)年、マシケ以北の出稼許可され、江差・福山・南部・津軽地方の漁民この地方に姿を見せはじめる。
1855(安政2)年、蝦夷地が再び松前藩領から天領になる。
1857(安政4)年、初めて和人漁民の出稼ぎが許可され、秋田・津軽の漁民3人(雇漁夫39人)がニシン漁を始める。
1869(明治2)年、明治政府が開拓使を設置し、蝦夷地を北海道と改め国郡を設定する、天売島は手塩国苫前郡に属す。
1871(明治4)年、この年の出稼ぎ漁民、男鹿(秋田)7人、松前1人(雇漁夫11人)。定住者なし。
1875(明治8)年、青森県人の熊木平作が移住し楢原漁場の管理人として家族と共に初めて越冬。
1880(明治13)年、焼尻外-戸村長役場の管轄区域となる。12戸、234人。
1883(明治16)年、曹洞宗説教所創建され、寺子屋教育が始まる。
1897(明治30)年、産卵のために日本海に来たニシンを97万5千トン漁獲する。
1902(明治35)年、天売・焼尻のニシン漁船70隻が天売港で暴風のため転覆、死者228人。
1903(明治36)年、天売水産組合設立。
1904(明治37)年、ニシン建網(定置網)50統、同刺し網7766放、漁獲高15000石(一石=生ニシン750kg)、入稼漁夫2500人。
1906(明治39)年、2級町村制施行で天売村役場と改称。415戸・1876人、ニシン漁不漁期に入り、島民の生活困窮。
1908(明治41)年、タラ釣り漁船34隻遭難、死者230人。
1920(大正9)年、ニシン大漁、約30000石 (最高記録)(一石=750kg)。この年の前後ニシン凶漁が続いていた。
1933(昭和8)年、苫前・焼尻・天売を結ぶ航路開かれる。
1938(昭和13)年、天売島が海鳥繁殖地が国の天然記念物として指定。 ウミガラス4万羽。
1944(昭和19)年、漁業組設立。(羽幌・焼尻・天売)
1949(昭和24)年、漁業協同組合に改組。(羽幌・焼尻・天売)
1950(昭和25)年、発電所設置。
1954(昭和29)年、灯台新設。天売高校新設。
1955(昭和30)年、羽幌町と合併、大字天売と改称。
1956(昭和31)年、ニシン凶漁、乱獲によってニシンの群は北海道から姿を消し、生態系が壊れ以後ニシン漁業消滅。ウミガラス激減する。
1957(昭和32)年、北海道のニシン漁は終わった。
1963(昭和38)年、鳥類研究者が天売島海鳥調査実施。ウミガラス8千羽。
1960年代から70年代にかけて島周辺で盛んに行われた[サケ・マス流し網]漁業による混獲で、おびただしい数のウミガラスが犠牲になった。
1964(昭和39)年、天売・焼尻道立自然公園指定。
1972(昭和47)年、環境庁、天売島のウミガラス1117羽と報告。焼尻天売への観光客約5万人。
1980(昭和55)年、ウミガラス553羽。
1980年代から食糧難のトド、アザラシなどが[カレイ・タラの刺し網] を食いちぎる被害増加。
1982(昭和57)年、天売島、国設鳥獣保護区に指定。
1986(昭和61)年、ウミネコ6万羽。
1989(平成元)年、フェリー「おろろん」就航。
1990(平成2)年、暑寒別天売焼尻国定公園指定。屏風岩にウミガラスのデコイ設置して、ウミガラスを呼び戻さざるを得なくなった。
1991(平成3)年、羽幌町が常駐の海鳥調査員を配置。
1997(平成9)年、羽幌に北海道海鳥センター設置。
2000(平成12)年、ウミネコが半減し、3万羽になる。
2001(平成13)年、コオナゴが不漁、コウナゴを捕食するホッケが不漁。コウナゴを捕食するウミガラス21羽。
2002(平成14)年、ウミガラス13羽で絶滅の危機。
2004(平成16)年、観察史上初、ウミガラスは繁殖数0羽になった。
2005(平成17)年、2年連続、ウミガラスは繁殖数0羽。さらにウミネコの繁殖も0羽となった。

羽幌沿海フェリーとは、羽幌港と離島である天売島、焼尻島を結ぶ船を運航する海運会社。
夏場の観光シーズンは高速船とフェリーをフル回転させて運航便数が増えるが、秋から冬にかけての閑散期には高速船は休航し、フェリーのみ一日一往復の運航となる。
焼尻島・天売島は、暑寒別天売焼尻国定公園に指定されていて、焼尻島のイチイの原生林は1983年(昭和58年)8月に、国の天然記念物に指定されている。

天売島海鳥繁殖地とは、海鳥、陸鳥合わせて約300種類の鳥の聖地で、ウミガラス(オロロン鳥)の繁殖地。
また、ウミスズメ・ヒメウの国内唯一の繁殖地で、ウトウやケイマフリの世界最大級の繁殖地でもある。昭和13年8月8日指定されている。

暑寒別天売焼尻国定公園とは、北海道の日本海側にある国定公園である。
面積は435.59km2で、1990(平成2)年、8月1日、日本で61番目に指定された国定公園である。
暑寒別岳連峰と雨竜沼湿原、雄冬から厚田にかけての海蝕崖、天売島の海鳥繁殖地、焼尻島の原生林などが含まれる。

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