苫前町 にしん街道標柱住所 苫前郡苫前町字栄浜55番地3 とままえ夕陽ヶ丘ホワイトビーチ(シーフロントパーク海浜公園国道232号線そばの歩道植え込み)苫前町 にしんルネサンス 苫前の由来はアイヌ語の「トマオマイ」(エゾエンゴサクのある所)が転訛したもの。 国道232号線沿いにあり、道の駅 風Wとままえから約600mほど羽幌方向に進んで左側。 にしん街道は、北海道の松前町から稚内市までの日本海沿岸約700kmの道のりの事、そこには「 にしん番屋 」に象徴される数多くの遺跡や文化財が点在しているのである。 当時、北海道日本海沿岸市町村では、江戸時代から「ニシン」による繁栄という共通の文化を有し、日本海の市町村を繋ぐ道として標柱の設置が進められているのだ。 1897(明治30)年、にしん漁最盛期には、97万3000トンの史上最高を記録しているほどで、ニシン漁は北海道の漁業総生産額の7割を占めるほど盛んだった。 多くの廻船問屋や商家、土蔵が建ち並ぶなど、ニシン漁で財を成した漁師による「ニシン御殿」が建ち並んだ。 日本海沿岸市町村には、現在もこれらを象徴する歴史的建造物や郷土芸能など、有・無形の文化財が数多く残され、一部の地域では資料館として開放している。 1906(明治39)年、このころからニシン漁不漁期に入り豊漁の年と凶漁の年があり、1955(昭和30)年以降、日本国内での水揚量は、100tにまで激減してロシアやカナダからの輸入品が大半を占めるようになった。 激減の原因として挙げられるのが、乱獲、森林破壊など諸説があるが、日本の場合は乱獲が主要の原因だと見られる。 にしんルネサンスでは、往時の繁栄時代のにしん文化を蘇らせネットワークで結び、新たな観光ルートの確立など、日本海沿岸市町村を通るルートを『にしん街道』と命名し、各市町村に標柱を設置することになった。 松前町から稚内市までの総延長約700kmを結ぶ街道は、国内最大の長さを誇り、2004(平成16)年、松前町から始まった 「 にしん街道標柱設置事業 」 が、江差・小樽・留萌などを経て、2012(平成24)年11月とままえ夕陽ヶ丘ホワイトビーチ敷地内に設置された。 説明版 苫前町は、漁業を主要産業として栄え、その中 でもにしん漁業が九〇パーセント以上の生産額を 占めていた時期が長く続きました。 明治末期から昭和初期までには不漁と回復を繰 り返しながらも、本州や道内各地から「若い衆」 「ヤン衆」と呼ばれる漁夫が大勢訪れ、浜は活気 であふれていました。また。戦中・戦後の食糧難 の時代に「にしん」が重要な役割を果たしてきま した。 しかし、約二世紀以上にわたって苫前町を支え てきた「にしん」も昭和三〇年に激減、数年間で ほとんど姿を消すとともに、かつて苫前町が「に しん」によって栄えていた記憶さえも忘れ去られ ようとしています。 それらの「にしん」がもたらしたマチの活気や 歴史などを後世につなげるため、にしん漁が行わ れていた各地を「にしん街道」とするとともに、 この苫前町にも標柱を設置するものです。 設置月日 平成24年11月吉日 設置者 苫前町 ちなみに、とままえ夕陽ヶ丘ホワイトビーチは、白い砂を中国海南島からとりよせ、まるで南の島に来たような気分にさせてくれるロマンティックな海水浴場である。 若いカップルや家族連れで賑わい、近くには苫前町のシンボルともいえる風車が見える。また、夕日も絶景である。 開設期間 7月12日から8月17日まで 現地連絡先 0164-64-2855 施設設備 管理棟・売店2店・軽食喫茶1店(ココ・カピウ)・トイレ1ヶ所・温水シャワー1ヶ所(男4・女4)300円 |