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古丹別 通水記念碑

住所 苫前郡苫前町古丹別(九重神社境内)

苫前町

九重と呼ばれるこの地域は、1896(明治29)年、未開の北の大地に夢を抱き、三重県長島町(現・三重県桑名市長島町)の団体が入植して切り拓いた。
1897(明治30)年6月16日、間口3間奥行5間の堀立小屋を建て、仮説教所を開設する。これが現在の広円寺(現・苫前郡苫前町古丹別247)の前身となる。
仮説教所では、算術読書を教え、住民たちが学校建設に奔走する。
1901(明治34)年1月8日、古丹別10線5番地の仮説教所家屋(現・広円寺・苫前郡苫前町古丹別247)を教室に、古丹別簡易教育所が開校、児童数27名。
現在の古丹別小学校の前身でもあり、その後校舎を新築、古丹別教育所と改称する。
1905(明治38)年、米の試作が始まり、試行錯誤が繰り返される。
1922(大正11)年、堰堤と灌漑溝が完成し本格的に水稲栽培が行われる。
1972(昭和47)年、圃場整備事業が始まり、河川の改修などを経て近代農業が確立され現在に至る。

碑文
この地は明治二十九年四月十三日、三重
団体三十六戸八十四名が入植。加太組・
津田組・桑名組・忍田組を編成、笹小屋
を作り、昼尚暗き鬱蒼たる原始林に挑み
麦、いなきび、粟を主食とし、一斧、一鍬
と未開の大地を切り開き開墾が始まる。
明治三十八年、念願の米が提増太郎氏
によって試作された。大正八年には二百
町歩の水田造成が計画され、大正十一年
九月に堰堤と灌漑溝が完成し本格的な
水稲栽培が行われた。その後幾多の冷害、
凶作の試練に耐え、未来の農業に夢を托し
親から子、子から孫へと引き継がれた。
昭和四十七年には第二の開拓と言われる
圃場整備事業が始まり、約十年の歳月
をかけ完了。今日の近代的農業が確立
され、美田波打つ町内一の穀倉地帯と
なった。
ここに、百年の歳月を経た九重の歩み
を刻み、この地に根ざした先人の苦労
偲んで感謝の意を表し、この碑を建立
する。
平成七年九月十四日
九重開拓百年記念協賛会


碑文
郷土の発展と農業の安定をめざし米作りに命
をかけた通水の証として、昭和八年六月五日
通水記念の碑が建立された。
長年の風雪により風化著しく、再建するに至る
農業の近代化すすむ中、昭和四十五年
受益者の勇断により河川交換を含めた
圃場整備を決定。幾多の困難をのりこえ、十年
の歳月をかけ完工、美田としてよみがえる。
河川交換による換地精算金の一部益金により
先人の偉業を後世に継承する為、ここに
碑を建立する。
平成十一年九月十五日

紀元前6000年頃、苫前町に人が住み始める。
紀元前800年頃、香川3線(遺跡)に集落ができる。
1634(寛永11)年、トママイ交易場所開かれる。
1670(寛文10)年、この年に書かれた「寛文拾年狄蜂起集書」に「ともまい」の地名がある。
1804(文化元)年、運上屋を建てる。
1804(文化元)〜1818(文政元)年、この頃間宮林蔵この沿岸を測量(伊能忠敬の全島沿岸実測図として完成)
1807(文化4)年、西蝦夷地が松前藩領から天領(幕府直轄領)になる。
1821(文政4)年、幕府、蝦夷地を松前藩に返還する。
1840(天保11)年、マシケ以北の出稼許可され、江差・福山・南部・津軽地方の漁民この地方に姿を見せはじめる。
1846(弘化3)年、松浦武四郎が初めて苫前を訪れ宿泊。
1855(安政2)年、蝦夷地が再び松前藩領から天領になる。
1856(安政3)年、松浦武四郎が天塩内陸踏査のため再び訪れる。
1857(安政4)年、松浦武四郎が天塩内陸踏査のため再度訪れる。
1858(安政5)年、苫前に一泊した翌日、古丹別川を遡り、イシカルンクシナイに止宿。(現・岩見付近)
1855(安政2)年、蝦夷地が再び松前藩領から天領になる。
1859(安政6)年、庄内藩の支配地となり陣屋を置く。
1864(元治元)年、大絵馬を奉納される(苫前神社に現存)
1876(明治9)年、子供たちに読み書きを教え寺子屋発祥となる。
1880(明治13)年、 3村(苫前村・白志泊村・力昼村)の長役場を苫前村に設置された。
1894(明治27)年、苫前郡苫前村が白志泊村を編入、苫前郡羽幌村(現・羽幌町)を分村する。
1896(明治29)年、古丹別原野に本州より団体移住する。
1897(明治30)年、苫前村の戸長役場が羽幌村戸長役場を分離する。
1902(明治35)年、苫前郡力昼村(りきびる)を編入、二級町村制、苫前郡苫前村となる。
1915(大正4)年、一級町村制施行される。留萌〜苫前間に乗合馬車が走る。三毛別羆事件が発生し7人犠牲になる。
1922(大正11)年、留萌−羽幌間乗合自動車営業始まる。
1923(大正12)年、国鉄羽幌線建設工事着工。
1928(昭和3)年、電灯が付き。ラジオが入る。
1931(昭和6)年、鬼鹿〜古丹別間の鉄道開通。
1932(昭和7)年、羽幌まで鉄道開通。
1934(昭和9)年、苫前船入潤(漁港)完成する。
1942(昭和17)年、霧立への森林鉄道開通。林業が本格化する。
1948(昭和23)年、町制施行、現在の苫前町となる。
1958(昭和33)年、国鉄羽幌線全線開通。
1983(昭和58)年、郷土資料館ができる。
1987(昭和62)年、国鉄羽幌線3月29日で廃止する。

道道1049号苫前小平線とは、苫前町と小平町を結ぶ一般道道であるが、苫前町三渓から小平町寧楽までの区間は未開通である。
通称「ベアーロード」との別名がつけられ、道端に熊の絵が描かれた看板が見られる。

松浦武四郎とは、1818(文化15)年2月6日(3月12日)〜1888(明治21)年2月10日没
江戸時代から幕末・明治時代にかけて活動した日本の探検家、浮世絵師。
蝦夷地を探査し、北海道という名前を考案し「北加伊道」とつけた、後の北海道です。
1845(弘化2)年、初めて蝦夷地を訪れる。
この時の身分は、幕吏ではなく江差の商人を名乗って東西蝦夷地を探検し、『初航蝦夷日誌』を残している。
1850(嘉永3)年に3回の調査の記録を「初航蝦夷日誌」(全12冊)、「再航蝦夷日誌」(全14冊)、「三航蝦夷日誌」(全8冊)という題でまとめている。
これらの日誌には、蝦夷地の地形・地名・動植物・アイヌ民族の姿・松前藩による蝦夷地支配の実態などが詳細に記録されている。
個人として3度、幕府の役人として3度、計6度の蝦夷探検の膨大な記録が残っている。

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