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ウソタンナイ砂金採掘公園

住所 枝幸郡浜頓別町宇曽丹
TEL  01634-2-2345
開設期間 6月2日〜9月30日
営業時間 9時〜16時30分
休館日 月曜日 (祝日の場合は翌日 )
川掘り 一人500円、時間制限無し(大人・こども共通)、ゆり板、カッチャ、特長靴貸与。(川が増水した時や悪天候の場合は水槽掘りのみとなる)
水槽掘り 一人30分 500円(大人・こども共通)、ゴールドパン貸与
キャンプ場 料金一人 200円(小学生以下100円) 設備 トイレ・炊事場有り、バーベキュー焼台(無料)、アミ・鉄板貸出し有り(いずれも200円)、車両乗入れ禁止。

浜頓別の由来はアイヌ語「トー・ウン・ペッ」(湖から出る川)から。
1986(昭和61)年、ウソタンナイ砂金発見90周年を記念して、ウソタンナイ砂金採掘公園ゴールドハウスがオープンした。
1898(明治31)年、ウソタンナイ川の上流で砂金が発見され、ゴールドラッシュが沸き、東洋のクロコダイルといわれた。
ウソタンナイとは、アイヌ語で「ウ・ソ・タ・アン・ナイ」(お互いに滝が掘っている川)という意味。
ゴールドハウス内にはウソタンナイ砂金地の歴史・物語・写真を展示、周辺には砂金採掘最盛時代をしのばせる遺跡、流し掘りなどに使用された「石垣」や金鉱跡が残っているが行くのは困難である。
砂金堀体験をするならまずゴールドハウスに行こう。


砂金掘りの用具は全てここで借りられる。川堀なら時間制限はない。
砂金堀は、カッチャと呼ばれる鍬で川底の土砂を取り、ゆり板の上に乗せ砂を洗い流していく、初心者にはかなりの重労働でもある。
うまくいけば、砂の中から黄色い小さな粒が現れる。公園ではキャンプもできるようになっているので朝から夕方まで掘ることも可能である。
川の増水時・悪天候・時間が無い人の為に水槽堀体験もでき、ゴールドパンという道具を使って水槽の中から砂金を採る体験ができる。(私は水槽堀を体験してきました)
どちらも専門のインストラクターがおり、安心して体験ができる。
2002(平成14)年、世界砂金掘り日本大会IN浜頓別を開催している。



敷地内には、金山神社の標柱と百年記念碑があり、その奥には復元された当時の家屋があった。

ウソタン砂金地
蝦夷地といわれた北海道
で松前藩が砂金採取を
許可したのは、元和三年
(一六一七)といわれ寛文九年
シャクシャインの乱まで約
五十年間で以後衰退し
ていく
明治二十九年(一八九六)ユーコ
ン河の支流クロンダイク
(カナダ)で砂金が発見さ
れゴールドラッシュがおきた
その三年後の明治三一
年夏ウソタン川上流で豊
富な砂金が発見され「東
洋のクロンダイク」と謳わ
れ空前のゴールドラッシュ
がはじまる


金山神社
平成三年七月一日再建
証明
明治三十年代、東洋のク
ロンダイクと評されるほ
ど、砂金掘りを中心に多
くの人々が、このウソタ
ンナイに入った。
明治四十五年七月、砂金
掘りの信仰は神社を建立
し以来、今日まで保持さ
れて来た。
神社は一般神社の概念と
異り鳥居、社はなく標柱
と石碑だけの素朴なもの
である。

旧石器時代の石刃核がポン仁達内遺跡で発見され、また、山軽台地遺跡からは、細石刃核と細石刃が出土し、今から1万2000年以上前からヒトの足跡が見られる。
1645年〜1648(正保)年間、「ツウヘチエソ」と正保御国絵図に記される。
1670(寛文10)年、「つんへつ村」と頓別の地名が津軽一統志に記録される。
1700(元禄13)年、松前藩が幕府に呈上した元禄御国絵図に「つうへち」で図示される。
1807(文化4)年、トンベツにアイヌの家12軒、男女67 人(アイヌの長シリメキシュヱ)と戸口について西蝦夷地日記に記録あり。
1846(弘化4)年、松浦武四郎、トンベツ川を舟で渡りシヨナイ(斜内)に泊まると再航蝦夷日記に記載あり。
1856(安政3)年、松浦武四郎、トンベツ、ショナイについて具体的に記録、武四郎廻浦日記に絵図あり。
1869(明治2)年、10月21日朝、プレーキストン氏枝幸を出発、斜内に2泊(熱のため休息)23日朝、頓別を通過、夕方猿拂着宿泊とある(プラキストン著「蝦夷の中の日本」)。
1871(明治4)年、判官松本十郎、北見国各郡を巡視トンベツ、アイヌの家2戸あり川守をしている(北見州経験誌)と書く。
1872(明治5)年、枝幸郡戸口36戸、人口153人(男85人、女68人)とある。
1874(明治7)年、アメリカの地質学者ライマン氏が、9月22日枝幸出発シヨセフの沢より馬で斜内山道を越え斜内に一泊。
1875(明治8)年、判官松本十郎北見国巡回、これが最後となる。
1878(明治11)年、枝幸郡に枝幸、頓別、歌登、礼文の 4 ヶ村が設けられ、斜内にアイヌの家6戸。
1884(明治17)年、斜内において和人(姓不詳)1人漁業を営む。
1888(明治21)年、大橋良次が斜内で初めて鰊網を試みる。
1889(明治22)年、佐藤子之助頓別川渡船場管理人となる。
1891(明治24)年、枝幸村に4ヶ村戸長役場を設置。
1893(明治26)年、頓別駅逓所創設、取扱人土佐久三郎となる。
1894(明治27)年、斜内に松本忠太郎の漁場1ヶ所開設、佐藤長五郎定置漁場にし定住の始めとする。
1895(明治28)年、渡船場管理人佐藤子之助、頓別駅逓所取扱人となり定住する者が増える。山軽駅逓所新設、取扱人成田徳蔵となる。頓別川口に駅舎新設。
1896(明治29)年、斜内に私設の寺子屋式児童教育所が新設される。頓別村17戸、89人。
1897(明治30)年、斜内山道開削。
1898(明治31)年、頓別川の支流ウソタンナイ川上流に豊富なる砂金の産出あり、採取人がペイチャン川(中頓別町)と合せ約1万6千人を数えたという。
1900(明治33)年、ウソタンナイ砂金区より205 匁(768.75g)の日本最大の金塊発掘。ウソタン砂金地に外国人砂金採取者が入山。
1904(明治37)年、頓別原野19線(現・下頓別市街)に高藤嘉平氏定住する。
1905(明治38)年、全村定住者53戸、263人となる。斜内簡易教育所開設(現・枝幸郡浜頓別町斜内、斜内小学校の前身で斜内小学校は2010(平成22)年3月末で閉校となった)。
1908(明治41)年、斜内教育所第1教授所開設(現・枝幸郡浜頓別町字頓別の頓別小学校の前身)。
1909(明治42)年、戸数 232戸、1091人。2級町村制施行により頓別、歌登、礼文、枝幸が枝幸村に併合。
1910(明治43)年、戸数410戸、1577人。5月1日斜内教育所第3教授所開設(現、枝幸郡浜頓別町下頓別、下頓別小学校の前身で、下頓別小学校は1968昭和43年、現在地に移転している)。斜内教育所第4 教授所開設(現・枝幸郡浜頓別町宇曽丹、宇曽丹小学校の前身で、2011(平成23)年廃校となった)。
1911(明治44)年、頓別郵便局開局。
1912(明治45)年、頓別原野22線(現・下頓別)に駅逓開設し、取扱人近藤勝之助となる。金山神社建立。
1912(大正元)年、枝幸水産組合、ウソタンナイ支流ヌルイ川にさけ・ますふ化場創設。斜内教育所第1教授所(現・枝幸郡浜頓別町字頓別の頓別小学校の前身)が頓別尋常小学校と改称して独立。
1914(大正3)年、11月天北線、(宗谷線)の音威子府 - 小頓別間 (15.6km) を延伸開業する。
1915(大正4)年、三井物産株式会社頓別木挽工場操業開始。頓別で金井貝灰工場操業。頓別村農会設立。
1916大正5年、頓別沿岸に高潮あり、家屋、商品流失、市街の大半が被害を受ける。枝幸村(現・枝幸町)より分村、2級町村制施行し、頓別村となり役場設置(1120戸 4700人)。
1916(大正5)年、10月1日小頓別 - 中頓別間 (26.8km) を延伸開業。敏音知駅・松音知駅・中頓別駅を新設。
1917(大正6)年、学校令により教育所から尋常小学校に改称する(下頓別、宇曽丹、斜内、豊寒別)。
1918(大正7)年、浜頓別特別教授所開設。西尾英蔵下頓別に木材工場創設。8月25日中頓別 - 浜頓別間 (19.0km) を延伸開業。下頓別駅・浜頓別駅を新設。
1918年(大正7)年、ウソタンナイ砂金区を藤田組に一括買収、砂金地から砂金掘りは途絶えた。
1919(大正8)年、山火事で浜頓別市街312戸、木材7万石焼失。10月20日宗谷線を宗谷本線に改称。11月1日浜頓別 - 浅茅野間 (15.2km) を延伸開業。山軽駅・浅茅野駅を新設。
1920(大正9)年、下頓別郵便局開局。頓別水電株式会社が、宇曽丹川にて水力発電所建設。浜頓別、下頓別、中頓別市街に送電する。浜頓別郵便局開局。
1921(大正10)年、4月中頓別町(現・中頓別町)が分村。岩橋源之助が宇曽丹にて水田試作、良好な成績をあげる。
1922(大正11)年、11月1日鬼志別 - 稚内(現在の南稚内)間 (56.2km) を延伸開業。小石駅・曲淵駅・沼川駅・樺岡駅・幕別駅・声問駅・稚内駅を新設。稚内機関庫鬼志別分庫設置。11月4日宗谷線を宗谷本線に改称。
1930(昭和5)年、4月1日 - 音威子府駅 - 浜頓別 - 稚内駅間(149.9km)を宗谷本線から削除し線路名を北見線に改称。天塩線を宗谷本線に編入する。
1931(昭和6)年、林道が完成し、再びウソタンナイ川にゴールドラッシュが巻き起こる。
1932(昭和7)年、頓別駅逓所廃止。
1933(昭和8)年、仁達内駅逓所開設。宇津内炭鉱操業開始。
1949(昭和24)年、北海道金山潟Eソタンナイ砂金の機械掘り開始(昭和27 年世界一の移動選金機導入)。
1951(昭和26)年、頓別村を浜頓別町と改め町制施行、浜頓別町章の制定。頓別漁港第 1 種漁港の指定を受け整備始まる。
1958(昭和33)年、浜頓別市街大火(35 戸全半焼)。クッチャロ湖畔竪穴遺跡発掘調査(北海道大学、大場教授)
1961(昭和36)年、北見線を天北線と改称
1962(昭和37)年、神威岬灯台設置。
1963(昭和38)年、第1回クッチャロ湖水まつり開催。
1966(昭和41)年、浜頓別クッチャロ湖畔竪穴群が北海道史跡に指定。
1968(昭和43)年、クッチャロ湖、ベニヤ原生花園、斜内山道が北オホーツク道立自然公園に指定。
1974(昭和49)年、ウソタン砂金地現地調査が始まる。7月12日金鉱口発見。
1975(昭和50)年、栄和地区から注口土器(続縄文時代)出土。郷土資料館開館。
1976(昭和51)年、8月26日金山神社発見。
1981(昭和56)年、国設浜頓別クッチャロ湖鳥獣保護区指定
1983(昭和58)年、クッチャロ湖鳥獣保護区に指定。
1984(昭和59)年、北海道農協乳業鰹@谷工場製造開始(現・よつ葉乳業株式会社)。
1985(昭和60)年、観光協会が砂金掘りプロジェクトを発足し、体験観光を開始した。
1986(昭和61)年、ウソタンナイ砂金採掘公園ゴールドハウスオープン。
1987(昭和62)年、ウソタン砂金共和国建国。第一回ウソタン砂金フェスティバル開催。
1989(平成元)年、JR天北線廃止。頓別小学校校舎新築落成。クッチャロ湖ラムサール条約登録湿地指定。
1991(平成3)年、ウソタンナイ砂金遺跡が浜頓別町文化財に指定。
1992(平成4)年、第 1 回全日本砂金掘大会開催。
1994(平成6)年、山軽台地遺跡出土遺物「細石刃核」「細石刃」が浜頓別町有形文化財に指定。ポン仁達内遺跡出土遺物「石刃核」が浜頓別町有形文化財に指定。
1995(平成7)年、水鳥観察館開館。温泉掘削成功(掘削 1,073m、温度47.5 度、湯量150./分)。
1996(平成8)年、はまとんべつ温泉「ウイング」オープン。
1998(平成10)年、郷土資料館オープン。
2001(平成13)年、「コモチカナヘビ」が浜頓別町文化財に指定。
2002(平成14)年、世界砂金掘り浜頓別大会開催。
2005(平成17)年、民間風力発電所1基建設


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