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庚神堂馬頭観音堂(元弘照寺)

住所 空知郡上富良野町東中東8線北18号

かみふらの観光協会

かみふらの郷土をさぐる会

1900(明治33)年頃、有塚利平氏の発願にて東中地区に大師講が組織され、講員の集会所として大師堂を東中東8線北18号(現在地)に宅地30アール余りを有し建立された。
大師堂が基盤となり、岩田実乗師(弘照寺開基住職)により、1905(明治38)年、真言宗高野山説教所が開かれ、爾来大師様の法燈を掲げられていたが、富良野原野開発に伴い、鉄道交通の便利の良い中富良野村基線北12号(現・空知郡中富良野町丘町2−24 0167-44-2152)に堂宇を新築、1918(大正7)年に移転する。
創立時代の建物を弘照寺出張所、「源照庵」と名づけ尼僧・寄谷源陏師が入居し保存管理に当たるが、時代の推移により源照庵を1940(昭和15)年、上富良野墓地に移築する。
戦後、地域住民の要望に答え、宅地30アールを公共施設に分譲し、「庚神堂」「馬頭観音堂」を現在地に移転、永久保存の為弘照寺境内地とする。
現在は、地域住民の憩いの場「弘寿園」と称し境内内を開放する。
昭和55年8月18日 高野山真言宗 慈雲山 弘照寺
祭時には、中富良野弘照寺住職により4月17日にお参りされ、昔は餅まき、馬の安全を願って数十頭の馬が集まったとある。今でも参拝は行っているそうだ。
昔は馬耕による農業・冬は木材の運搬等重要な労力として、馬は貴重な存在であったのである。


真言宗高野山派説教場(弘照寺)とは、堂宇60坪、信徒は100余戸とされている1900(明治33)年頃作られた建物。
世話人は田中亀八、有塚利平、住友役次郎、多津美十蔵、宮北忠平、北原虎(寅)蔵、山中善四郎など8名。
出身地は、田中亀八・多津美十蔵は那賀郡、住友役次郎は美馬郡と徳島県出身。
有塚利平は香川県と、東中は永山農場、五十嵐(旧中島)農場を中心として徳島、香川県などの四国出身者がが多く移住した地域である。
真言宗の説教場創設も、これらの四国出身の文化を再現したものとみられる。
上富良野で最も早く創設された寺は、1898(明治31)年、三重団体による真宗高田派専修寺説教場(後の専誠寺)で、寺子屋が併設されていた。
開拓と仏教は密接な関係があり、北海道へ移住した開拓民も仏教の信仰者が多く、開拓地でも仏教が必要とされた理由はいくつかの理由がある。
1、葬儀の執行。専門の僧侶の手にかからないと「成仏」「往生」できないという、心理的要因が存在していた。
2、説法などを聞く聞法。信仰心を満たし深化させるものだが、娯楽の少ない農村にあっては講、法会などが数少ない娯楽であり心の拠り所にもなっていた。
3、年中行事の遂行。春の花祭り・春秋のお彼岸・盆と共に、仏教行事が農耕の歳事暦と重なった民俗行事となっており、遂行するにも僧呂・寺院が必要であった。
このように入植者が従来の社会生活、信仰を開拓地でも維持していく上で仏教と寺院は不可欠で、寺院が創設されていったのである。

庚神堂とは、青面金剛像を祭祀する祠。

馬頭観音とは、仏教における信仰対象である菩薩の一尊で、観音菩薩の変化身の1つ。

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