北海道応援サイト!がんばれ北海道!!東山開拓碑

東山開拓碑

住所 富良野市東山546

ふらの観光協会

以前は東山小学校だったが、1981(昭和56)年3月31日閉校になり、旧校舎は東山中央会館となり今も残っている。
現在は、東山公園パークゴルフ場となっており、夏は多くの人で賑わう。
この一角に碑が建っている。


碑文
 東山の位置する西達布川流域は、明治三二年東京大学所管となる。
旧東山村は演習林内植民地として開けた全国にも異色の郷土であり、
広さ二万三千ヘクタールに及ぶ学術価値の高い樹海に囲まれた全道
屈指の肥沃な農業地帯である。
 同三九年、ニシタップ(東山の旧名)入口の樹木園に保護所と第
一苗圃を開設おんこ沢で入植試験を開始したのが開発の嚆矢である。
 同四三年、西達布川本流沿いに林業夫を兼ね二二戸が入植し、こ
の人々が、本地区開拓の先駆者として千古の原生林に斧を振い鍬を
打ち挑んだ。
 大正八年に至り、ならのき・かえで・さくらに開墾が進み市街地
が形成される。以来、演習林の協力のもとに豊穫の郷として発展を
遂げ、昭和十五年母村山部から分離、東山村となる。同二五年農地
解放により自作農となり第二の発展期を迎え、三一年富良野町と合
併、四一年山部町と三町村の合併を成就して富良野市となる。
 近年、農業の基盤整備が鋭意進められ新たなる飛躍が期待される
今日、開拓八十年の風雪の歴史と先人の労苦を偲び、その偉大なる
功績を讃えて、ここに記念碑を建立する。
平成元年十一月二六日
東山開拓八十周年記念事業実行委員会

1858(安政5)年、松浦武四郎が富良野を経て十勝越えする。
1869(明治2)年、開拓使設置。
1877(明治10)年、北海道農学校教授、佐藤昌介が空知川を探検する。
1883(明治16)年、北海道庁設置。内田瀞が富良野地方に四植民地を選定。
1897(明治30)年、中村千幹下富良野扇山に入植する。
1898(明治31)年、札幌農学校第八農場が下富良野に看守所を置き、小作人の募集をする。
1899(明治32)年、東京帝国大学農科大学北海道演習林、道庁より土地の公布を受ける。
1900(明治33)年、東京帝国大学総長菊池大麗が演習林を視察。木道金太郎が駐在員として派遣され調査にあたる。
1906(明治39)年、東大北海道演習林に保護所を設置し、苗圃設営、立ち木処分、試験入植を実施。
1910(明治43)年、官設西達布渡船場が設営。西達布川本流の開拓に着手、22戸が入植する。
1913(大正2)年、山部に東大演習林庁舎落成する。
1914(大正3)年、西達布(現・東山)の市街地区画測量実施。西達布神社創祀。
1917(大正6)年、曹洞宗永平寺派西達布説教所(現・富良野市東山658 大仙寺)創立。
1918(大正7)年、西達布大谷派説教所(現・富良野市西達布 東大寺)創立。
1920(大正9)年、東大演習林内、下金山〜すみれ地区まで森林軌道の建設着手。
1921(大正10)年、下富良野町、一級町村制施行。
1924(大正13)年、8月西達布開墾記念碑(現・東山神社境内)を建立。
1931(昭和6)年、北の峰スキー場開設。
1938(昭和13)年、山部に石綿工場3社創立、翌年より生産開始する。
1940(昭和15)年、4月山部村を割き、「東山村」を置く。
1945(昭和20)年、富良野市街地、米軍機の空襲を受ける。
1947(昭和22)年、東山中学校開校。
1950(昭和25)年、東大演習林老節布地区543町歩開放される。
1951(昭和26)年、東大演習林763町歩開放される。
1955(昭和30)年、富良野芦別道立自然公園設立。
1956(昭和31)年、東山村、富良野町と合併する。
1964(昭和39)年、10月東山遺跡発掘調査行われる。12月東大演習林第二次農地解放で、152戸自作農になる。
1966(昭和41)年、山部村と富良野町合併し、富良野市となる。
1967(昭和42)年、金山ダム竣工式挙行。富良野市農業高校開校。
1972(昭和47)年、東郷ダム建設着手(2012年現在、完成せず)。
1979(昭和54)年、FISワールドカップ富良野大会開催される。
1980(昭和55)年、TVドラマ「北の国から」撮影開始。
1982(昭和57)年、ふらのワインが世界コンクールで金賞受賞。
1983(昭和58)年、「樹海」(東大演習林)が、日本の自然百選に選定される。(東山開拓80周年記念誌参考)

松浦武四郎とは、1818(文化15)年2月6日(3月12日) 〜1888(明治21)年2月10日没
江戸時代から幕末・明治時代にかけて活動した日本の探検家、浮世絵師。
蝦夷地を探査し、北海道という名前を考案し「北加伊道」とつけた、後の北海道です。
1845(弘化2)年、初めて蝦夷地を訪れる。 この時の身分は、幕吏ではなく江差の商人を名乗って東西蝦夷地を探検し、『初航蝦夷日誌』を残している。
1850(嘉永3)年に3回の調査の記録を「初航蝦夷日誌」(全12冊)、「再航蝦夷日誌」(全14冊)、「三航蝦夷日誌」(全8冊)という題でまとめている。
これらの日誌には、蝦夷地の地形・地名・動植物・アイヌ民族の姿・松前藩による蝦夷地支配の実態などが詳細に記録されている。
個人として3度、幕府の役人として3度、計6度の蝦夷探検の膨大な記録が残っている。

東大演習林とは、富良野の山部、東山、老節布、西達布にある原始林。演習林全体の面積は約2万3千ヘクタール、JR山手線の内側の面積の3.5倍に相当する。
明治32年に創立され、林学の教育や研究の場として利用されている。
トドマツやエゾマツをはじめ、日本最大のキツツキ「クマゲラ」(天然記念物)が棲んでいることでも有名。

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