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石のふるさと空知川

住所 富良野市北の峰町1

ふらの観光協会

富良野市生涯学習センター

富良野の由来は諸説があり、アイヌ語の「フラヌ」(赤色の溶岩や焼石が沢山あるところ)「フーラヌイ」(硫黄臭き火炎の土地)「フラヌイ」(臭き火焔)から転訛したものといわれ、いずれも市内を流れている富良野川の上流に硫黄山(十勝岳)があり、噴気と臭気に由来している。
富良野市から国道38号線を芦別に向かい空知川にかかる新空知橋を渡ってすぐ道道800号北の峯線を80mほど進むと左に入る側道があり約150mほど。
ここには「空知川顕彰碑」「斉藤文承歌碑」「佐藤こう村歌碑」(こうは、くさかんむりに江だが、?になるためひらがな表記にしております)の碑が集められている。


建碑趣意
下富良野で青い十勝岳を仰ぐ汽車はいよいよ
夕張と背合わせの山路に入って空知川の上流に添
って遡る砂、白く水は玉よりも緑である
徳富蘆花「みみずのたわごと」

眼前を流れる空知川は今尚清く私共の魂を洗い詩情
を培い、たゆむことなく流れつづけています。
そして今や。ヒスイをはじめとする珠玉の銘石・空知川
石を抱く母なる川として全国に知られるに至りました。
空知川石が私共に深い心の光りからでありましょう。
水清く、山秀でたる山水美の世界を私共の心として
生きることの出来る答を空知川石に託し、茲に
”石のふるさと空知川”の碑を建立
した次第であります。
昭和五十年九月二十日
北海道中央水石会

空知川顕彰碑
昭和50年9月建立された。


斉藤文承歌碑
ふるさとの
空知の川に
抱かれし
石は
時世を経て
光あり
昭和50年9月建立された。


佐藤?村歌碑(?内はこう・草かんむりに江)
この碑は二つの碑より奥にあり、ひっそりと建っている。
紅葉の葉
水に浮きゐて
川底の真砂に
何を問いかくるらん
昭和63年10月建立された。


斉藤文承(さいとうぶんしょう)とは、1918(大正7)年〜1997(平成9)年、歌人、市社会福祉功労者、日蓮宗長音山本要寺五代目住職、富良野市郷土研究会会長。
静岡県柚野正法寺(現・静岡県富士宮市上柚野178)に生まれる。
1929(昭和4)年、父に伴い富良野に移住する。旧滝川中学校、立正大学印度哲学科を卒業する。
1943(昭和18)年、仙台陸軍予備士官学校を経て、南方総軍に配属となり終戦を迎える。
1946(昭和21)年、東京で戦災復興事業に従事する。
1948(昭和23)年、富良野に帰郷。本要寺副住職の傍らロータス洋裁学校を設立する。
1951(昭和26)年、ロータス洋裁学校が文部省の認可を受け、ロータス文化服装学院となる。人権擁護委員に選任される。
1958(昭和33)年、前住職の後を継いで第五世住職となる。
1960(昭和35)年、保護司となる。
1982(昭和57)年、富良野市社会教育委員会委員長に就任。
1989(平成元)年、この年までロータス文化服装学院理事を務めた。その後、日蓮宗北海道本部宗務総長、宗会議員を歴任する。
1995(平成7)年、この年まで保護司を務めた。
1997(平成9)年、この年まで人権擁護委員を務めた。

佐藤こう村とは、生没不明、略歴も不明。

国道38号線とは、滝川市から釧路市へ至る一般国道で、総距離は298.4km。

道道800号北の峯線とは、富良野市を結ぶ一般道道で、総距離は0.9km。

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