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金山開拓の碑

住所 空知郡南富良野町金山市街地

南富良野町まちづくり観光協会

空知の由来は、アイヌ語の「ソーラップチ」(滝が・ごちゃごちゃ落ちている・川)と呼ばれ、和人がそれをソラチと呼び空知の語源となった。
南富良野町の由来は、1908(明治41)年に下富良野村戸長役場から分離創設したときに、富良野の南方に位置するところから「南富良野」と名付けられた。
金山の由来は、附近の十梨別川(トナシベツ)「トニ・ウシ・ベツ」(柏樹・多い・川)の流域と、その河口の空知川沿岸は至る処砂金が取れた事から金山の名が付いた。
トナシベツの由来は、アイヌ語で「トナシペッ」(早い・川)、「トニ・ウシ・ペッ」(カシワの木の多い川)である。
国道237号線沿いにあり、道道465号金山幾寅停車場線の交差点から富良野方向に約400mほど左手。

金山に砂金掘りが最初に入ったのは、1891(明治24)年日高山脈を越えて南富良野町金山に入地し芽屋に住んだといわれ開基元年となった。この頃は日高から荷物を運搬していたようだが、悪路のため馬で一週間を要したようである。
その後、1893(明治26)年、アイヌが空知川で砂金を拾い函館商人に売り、空知砂金地(トナシベツ)が知られるようになる。砂金採取人約300人がトナシベツへ移り住む。トナシベツ川筋に石川某、樋渡某が鉱区借区する。
砂金掘りは山師とも呼ばれた。最盛期は明治42〜45年頃、その後何度か盛衰を繰り返し、1945(昭和20)年頃には終わるが、現在でも砂金は少量ではあるが取れるようである。
この頃、最初の入植者が入ったとき、すべてが手つかずの原生林だったが、当時木を売るところも無かった事もあり、樹齢何百年もの大木を惜しげもなく焼いて農地を開墾したようである。その後、伐採された木はパルプの原料となるため、空知川流域で流送され、冬は馬と橇で土場に原木を集め、春になると流送した。その後1907(明治40)年7月に富士製紙株式会社金山工場が創設され落合附近から伐採された木を空知川で流送して金山で陸揚げしたようである。
1899(明治32)年、10月金山駅逓所、落合駅逓所設置。川島房吉が鉄道工事請負人として金山に移住する。富山県人の富田某・新潟県人の渡部某が鉄道工事の工夫と土工相手に飲食物を提供したことから商業の始まりと言われている。
1900(明治33)年、8月上富良野〜下富良野間が延伸開業、下富良野駅を新設。11月鹿越駅逓所設置、浅野信太郎が取扱人となる。12月串内駅逓所設置、蜂谷清吉が取り扱い人となる。北海道官設鉄道十勝線の駅として下富良野〜鹿越間が延伸開業、山部信号停車場・金山駅・鹿越駅を新設。
1901(明治34)年、9月十勝線鹿越〜落合間開通、落合駅を新設。9月落合駅逓所取扱人を秋田甚平となる。12月パンケヤーラ川・トナシベツ川間道路開削。
1902(明治35)年、12月幾寅駅を新設。
1904(明治37)年、金山神社・幾寅神社創祀する。
1908(明治41)年、4月下富良野村金山以東を割いて南富良野村設置し、占冠村と南富良野村外一ヶ村戸長役場設置。占冠〜金山間の刈分け道路を作る。
1919(大正8)年、4月南富良野村・占冠村に二級町村制施行し戸長役場を廃止し、それぞれ独立村となる。同時に南富良野村・占冠村組合役場を創設する。
1920(大正9)年、5月には金山地区に電燈が点いた。
1923(大正12)年、6月右左府(日高)〜占冠〜金山駅までの横断バス開通。
1930(昭和5)年、6月富士製紙株式会社金山工場が閉鎖となる。
1932(昭和7)年、4月南富良野村・占冠村組合役場を解き、南富良野村として独立する。
古くから交通の要衝として開けてきたが、現在は過疎も進み、駅周辺には若干商店や住宅がある程度である。

碑文
 南富良野町は、明治24年砂金採取者が日高山脈を越えて金山に
入地し、芽屋を建てたことに始まる。爾来、幾寅地区の開拓をはじ
め、落合、鹿越、金山、下金山、東鹿越、北落合へと入植が進み
各集落が形成された。
 この間、酷寒風雪とたたかいながら不撓不屈の精神をもって、南
富良野町開拓の礎を築かれた先人の偉業に感謝を捧げ、その業績を
後世に伝えていくため、開基100年を記念してここに開基の碑を
建立する。
平成2年12月  南富良野町


1857(安政4)年、松浦武四郎が、空知川を尻岸馬内川(芦別と富良野の境)まで踏査。
1858(安政5)年、松浦武四郎が布部川上流シーソラプチ川上流を踏査し、佐幌川上流に出る。
1869(明治2)年、開拓使設置。富良野地方は石狩国空知郡に属する。
1872(明治5)年、一瀬朝春が、パンケヤーラ川、空知川、ユクルベシベ川を踏査し佐幌川に出る。
1881(明治14)年、内田瀞が空知川流域を踏査する。
1882(明治15)年、開拓使を廃止し、三県を置く。富良野地方は札幌県に属する。
1891(明治24)年、夕張金山(紅葉山付近)砂金採取で賑わう。砂金採取人が日高山脈を越えて南富良野町金山に入地し芽屋に住んだといわれ、開基元年とする。
1893(明治26)年、アイヌが空知川で砂金を拾い函館商人に売り、空知砂金地(トナシベツ)が知られるようになる。砂金採取人約300人がトナシベツへ移り住む。トナシベツ川筋に石川某、樋渡某が鉱区借区する。
1895(明治28)年、北海道庁技士石川貞治がトナシベツ川で地質・鉱物調査をする。
1896(明治29)年、6月空知外四郡役所(岩見沢)管轄に属する。農務省技師理学士大塚専一が空知川砂金地(十梨別川流域)の調査に着手。
1897(明治30)年、全道19支庁設置、空知支庁を創設しその管轄に属する。
1898(明治31)年、赤星某が金山に入地する。
1899(明治32)年、富良野村戸長創設、空知支庁から上川支庁に編入しそれに属する。5月藤原長次郎が落合に移住する。10月金山駅逓所、落合駅逓所設置。11月落合曹洞宗説教所開設。川島房吉が鉄道工事請負人として金山に移住する。
1900(明治33)年、11月鹿越駅逓所設置、浅野信太郎が取扱人となる。12月串内駅逓所設置、蜂谷清吉が取り扱い人となる。
1901(明治34)年、伊勢団体、岐阜団体が移住する。8月落合鉄道機関区設置。9月十勝線鹿越〜落合間開通する。9月落合駅逓所取扱人を秋田甚平となる。12月パンケヤーラ川・トナシベツ川間道路開削。
1902(明治35)年、12月篠崎福次郎が石灰石鉱を発見する。
1903(明治36)年、2月幾寅獅子舞結成発足する。7月富良野戸長役場から下富良野戸長役場が分離独立する。南富良野はその管轄に属する。
1904(明治37)年、10月空知川(下金山)に渡船場開設。金山神社・幾寅神社創祀。
1906(明治39)年、4月上川支庁に勇払郡占冠村を編入し、下富良野村外一ヶ村戸長役場設置。
1907(明治40)年、9月官設鉄道十勝線(現・根室本線)竣工、狩勝トンネル完成、狩勝信号機開設。小作人入植開始。
1908(明治41)年、4月下富良野村金山以東を割いて南富良野村設置し、占冠村と南富良野村外一ヶ村戸長役場設置。7月中島吉太郎が下金山で水稲約一畝を試作し水稲発祥となる。王子製紙株式会社が東鹿越で石灰鉱山経営に着手。王子の下請けとして地崎組が進出。
1909(明治42)年、3月串内、鹿越駅逓所廃止となる。6月越中団体入植。十梨別流域の砂金採取が最盛期となる。幾寅方面の造材が最盛期となる。
1910(明治43)年、5月金山〜占冠間の道路開通する。
1914(大正3)年、11月国富鉱山鹿越鉱業所操業開始。
1917(大正6)年、4月落合鉄道機関区が新得に移転。五番館金山石灰事業所操業開始し、石灰石運搬軌道敷設する。
1918(大正7)年、下金山灌漑溝施工。
1919(大正8)年、4月南富良野村・占冠村に二級町村制施行し戸長役場を廃止し、それぞれ独立村となる。同時に南富良野村・占冠村組合役場を創設。
1920(大正9)年、11月下金山〜山部村、西達布間に森林軌道開通する。
1921(大正10)年、幾寅森林軌道(馬力索引)敷設着工。
1923(大正12)年、6月右左府(日高)〜占冠〜金山駅までの横断バス開通。
1924(大正13)年、道庁測量隊が三城橋付近(鹿越)でダム建設の調査実施。(現・金山ダム)
1926(大正15)年、十勝岳大噴火する。富良野地方で大被害受ける。
1928(昭和3)年、落合森林軌道敷設。
1932(昭和7)年、南富良野村、占冠村組合役場を解き、独立する。
1940(昭和15)年、ダム建設を前提に鹿越地区の測量を行う。
1942(昭和17)年、10月砂金開発のため十梨別川を掘削する。
1943(昭和18)年、2月日鉄鉱業株式会社北海道鉱業所東鹿越鉱山の経営に着手。6月北海道農材工業株式会社東鹿越鉱業所の経営に着手。
1947(昭和22)年、10月樺太引揚者を主体に下金山開拓集落ができる。
1948(昭和23)年、菱中鉱業所操業開始。
1949(昭和24)年、5月雨竜電力株式会社金山発電所操業開始。
1952(昭和27)年、北海道開発局がダム建設基礎調査に着手。
1954(昭和29)年、12月鹿越鉱業株式会社設立。
1955(昭和30)年、9月北海道開発局がダム建設計画策定により、測量開始。夕張山系、ダム湖の桂沢湖・シューパロ湖などを含めた一帯を富良野芦別道立公園に指定する。
1958(昭和33)年、9月北海道開発局が金山ダム関連水没地域調査実施。
1958(昭和33)年、道立自然公園となった。
1962(昭和37)年、4月石勝線起工、新狩勝トンネル着工。10月金山ダム建設工事着工。
1963(昭和38)年、10月金山ダム提体コンクリート打設開始。
1964(昭和39)年、8月新狩勝トンネル貫通。
1966(昭和41)年、7月南富良野村観光協会設立。9月東鹿越〜金山間鉄道完成。鹿越駅廃止。10月根室本線切り替えによる狩勝新線完成。12月金山ダム完成。
1967(昭和42)年、3月金山ダム湛水開始。4月町制施行、南富良野町となる。6月金山ダム竣工式挙行。
1968(昭和43)年、9月かなやま湖畔町立野営場竣工。
1970(昭和45)年、8月下金山頭首工完成。
1972(昭和47)年、8月第一回かなやま湖「湖水まつり」開催(以後毎年開催)。
1974(昭和49)年、4月南富良野町観光協会と改称する。
1979(昭和54)年、山名薫人歌碑を金山ダム展望台に建立。
1982(昭和57)年、7月かなやま湖森林公園開園。11月かなやま湖保養センター開設。
1987(昭和62)年、1月三の山峠展望台完成。
1990(平成2)年、11月南富良野町開基100周年記念式典挙行。
1993(平成5)年、4月南ふらの物産センターが「道の駅」に登録される。
1999(平成11)年、町内で映画「鉄道員(ぽっぽや)」のロケがおこなわれた。5月かなやま湖オートキャンプ場オープン。
2006(平成18)年、2月第1回かなやま湖氷上ばかんす開催される。
南富良野村史・南富良野町史上巻・下巻参考

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