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深山峠さくら園

住所 空知郡上富良野町西5線北

かみふらの十勝岳観光協会

かみふらの郷土をさぐる会

あまり知られていないが、国道237号線沿いにあり5月上旬には桜の名所になる。
そばには駐車帯もあり天気がいいととても景色が綺麗なのである。
規模は大きくないが、十勝岳連峰を望み、眼下には報徳道路がS字を描いて里へ降りていく絵になる景色である。


このさくら園にはもう一つの顔がある、新四国八十八カ所
この新四国八十八カ所霊場は、1909(明治42)年、中富良野村弘照寺・下富良野村富良野寺・美瑛村光明寺によって発願され、1911(明治44)年、沿線の真言宗寺院により創設されたもので、各寺とも真言宗である。
当時は、第1番の富良野寺から第88番の旭川市金峰寺に至るまで道路沿いに石仏が安置され、巡拝には徒歩で1週間を要したそうだ。
弘照寺の基となった真言宗高野山派説教場は東中にあり、東中は徳島県出身者が多かったので、東中には22体がまつられていたという。
その後、巡拝者も少なくなり、土地所有者の変更や離農などで石仏を維持するのが困難になったこともあり、1973(昭和48)年、深山峠付近の4kmの区間に88体の石仏が集められた。
その後も、河川改修や観光開発で移転を余儀なくされ、1991(平成3)年、現在地に移転安置された。
石仏は富山県で掘られたもので、案内板には仏様の詳しい由来が書かれている。
敷地内には六角堂があり、お札に祈願を書いて壁に貼り付けることができる。


報徳道路とは、1985(昭和60)年に整備され、舗装されることなく木々の中をS字カーブを描きながら里に下りていく道。

真言宗高野山派説教場(弘照寺)とは、堂宇60坪、信徒は100余戸とされている1900(明治33)年頃作られた建物。
世話人は田中亀八、有塚利平、住友役次郎、多津美十蔵、宮北忠平、北原虎(寅)蔵、山中善四郎など8名。
出身地は、田中亀八・多津美十蔵は那賀郡、住友役次郎は美馬郡と徳島県出身。
有塚利平は香川県と、東中は永山農場、五十嵐(旧中島)農場を中心として徳島、香川県などの四国出身者がが多く移住した地域である。
真言宗の説教場創設も、これらの四国出身の文化を再現したものとみられる。
上富良野で最も早く創設された寺は、1898(明治31)年、三重団体による真宗高田派専修寺説教場(後の専誠寺)で、寺子屋が併設されていた。
開拓と仏教は密接な関係があり、北海道へ移住した開拓民も仏教の信仰者が多く、開拓地でも仏教が必要とされた理由はいくつかの理由がある。
1、葬儀の執行。専門の僧侶の手にかからないと「成仏」「往生」できないという、心理的要因が存在していた。
2、説法などを聞く聞法。信仰心を満たし深化させるものだが、娯楽の少ない農村にあっては講、法会などが数少ない娯楽であり心の拠り所にもなっていた。
3、年中行事の遂行。春の花祭り・春秋のお彼岸・盆と共に、仏教行事が農耕の歳事暦と重なった民俗行事となっており、遂行するにも僧呂・寺院が必要であった。
このように入植者が従来の社会生活、信仰を開拓地でも維持していく上で仏教と寺院は不可欠で、寺院が創設されていったのである。

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