史跡 占冠駅逓の跡住所 勇払郡占冠村字占冠占冠村 勇払の由来は、アイヌ語の「イプト」(それの・その口)という意味が考えられている。 占冠村(しむかっぷ)の由来はアイヌ語の「シ・ムカプ」(鵡川の本流)から。 国道237号線と道道136号夕張新得線交差点から占冠方向に約130m。道の駅 自然体感しむかっぷから富良野方向に約3km。 占冠村の駅逓は4箇所あった。上トマム、下トマム、字占冠、ニニウにあり、地理的に両地区の交通が別系統だったことから4箇所あるようだ。 トマム地区は、落合を玄関口とし、占冠地区は金山を玄関にしていたからで、落合〜上トマム〜下トマムが一系統、金山〜字占冠〜ニニウが一系統をなしていた。 字占冠駅逓は、1904(明治37)年6月岩崎誠治占冠駅逓取扱い人となる。駅逓は土台付きで柾ぶきの建物の元祖と称されている。 岩崎の後に、吉田正美、永井彦市で、永井は峠の茶屋として駄馬輸送時代から馬搬による時代に親しまれた人だったという。 1933(昭和8)年に惜しまれつつも廃止となった。 上トマムは、1941(昭和16)年11月、下トマムは、1947(昭和22)年3月、ニニウは、1945(昭和20)年9月の廃止で、字占冠の廃止はかなり早かったことがわかる。 これは、トマム、ニニウ方面の開発が遅れていたこともあったのと、三国横断バスの営業開始(金山〜占冠=右左府(現・日高町)の運行)、字占冠及び字中央における旅館の開業(三軒)により、字占冠駅逓の廃止が早まったようである。 現在は、永井宅前に「占冠駅逓の跡」碑が建っているが、これは北海道100年(1968(昭和43)年)の記念事業として建立されたもので、改築以前の旧永井邸が駅逓所であった。 以前は案内板もあったようであるが、現在はない。ちなみに碑の裏面には昭和五十七年十月一日 占冠村とあるが詳細はわからない。 1872(明治5)年、2月双珠別中央を経て一ノ瀬長春一行の標木建立が進み字占冠に泊まる。翌日一行は峠下付近に一泊する。翌日一行は金山パンケヤーラ川口にて一泊する。 1879(明治12)年、勇払各村戸長役場設置。 1880(明治13)年、1月滝川村戸長役場設置。 1889(明治22)年、1月苫小牧外十五ヶ村戸長役場設置。 1899(明治32)年、5月富良野村戸長役場設置。 1902(明治35)年、5月占冠原野に砂糖農場支配人日蔭長松小作人7戸を伴い移住し、他に小作農5〜6戸の入地する。佐藤小六占冠本流基線に単独入地する。 1903(明治36)年、5月静岡県より加藤宇平6戸団体が入地する。7月下富良野村戸長役場設置。11月勇払郡鵡川外七ヶ村戸長役場、シムカプ簡易教育所の位置を辺富内村字シムカプ基線七号公用地に指定。 1904(明治37)年、6月岩崎誠治占冠駅逓取扱い人となる。 菊池吉六が北見より薄荷の根を移入し薄荷の元祖となる。庄治留七双珠別に入地。 1905(明治38)年、須藤平三郎双珠別を中心に砂金を掘る。岩崎誠治がシムカプのアイヌ語に占冠の漢字を当て村名とする。辺富内(へとない)村(現・むかわ町の一部)から占冠村が分村。 1906(明治39)年、4月室蘭支庁から占冠村を上川支庁管内に編入。下富良野外一ヶ村戸長役場設置。6月占冠神社を仮宮で創祀。 1907(明治40)年、3月武田孝一金山駅逓取扱人となる。6月占冠神社創祀。荒井喜三郎双珠別で砂金を掘る。 1908(明治41)年、南富良野村外一ヶ村戸長役場設置。トマム原野開墾に着手する。白川又治、植杉金之助がニニウに入地。占冠〜金山間の刈分け道路を作る。 1909(明治42)年、岩井亮一が水稲栽培に成功する。同年山下徳松が字中央で試作し成功している。 1910(明治43)年、占冠〜金山間の道路開通。 1913(大正2)年、下トマム駅逓(山下要助取扱人)が馬を移入する。関直右ェ門占冠村で造材と流送する。トマム原野に入植者が出る。上トマム第一部落に小平玉蔵入地する。山駒吉、今川辰之進が下トマム第一部落に入地する。下トマム第二部落に松本政治入地。 1914(大正3)年、8月トマム道路開通。 1917(大正6)年、2月佐賀団体が入地する。和田栄松が甲冑と刀二振を発見する。甲冑の人骨も見つかる。荒井紋次郎が下トマムで砂金堀をする。愛媛団体入地する。岩手団体入地する。上トマム第二部落に堤仁八が入地する。上トマム第三部落に阿部要造外11名入地する。 1918(大正7)年、秋田団体入地する。青森団体入地する。 1919(大正8)年、4月二級町村制を施行し、南富良野村 ・占冠村組合役場を設置する。 1923(大正12)年、11月トマム〜幾寅間道路開通。金山〜右左府(現・日高町)間乗合自動車運転。2年間はトラックでの輸送だった。 1926(昭和元)年、8月堂坂房吉が東ニ線十八番地にて、前北式及び後北式の土器を掘り出す。 1929(昭和4)年、ニニウ道路開通する。 1932年(昭和7年) 南富良野村 ・占冠村組合役場を解き、独立し占冠村となる。 1945(昭和20)年、双珠別川上流五番滝三百間上に薄手土器を伴う住居跡を庄司忠師郎が発見する。 1950(昭和25)年、12月占冠村営発電所により占冠に電灯が点く。(ニニウ地区を除く) 1952(昭和27)年、北海道開発局が、鵡川・赤岩青巌峡一番淵付近にダム計画を発表。村全体で反対運動が発生する。 1959(昭和34)年、7月赤岩ダムの条件付調査を了承する。 1960(昭和35)年、6月占冠〜ニニウ間の林道開通する。 1961(昭和36)年、北海道開発局は、赤岩ダム計画の白紙撤回を発表する。7月双珠別ダム完成する。 1965(昭和40)年、トマム地区の電化及び簡易水道完成。 1966(昭和41)年、ニニウ地区の電化。中央〜占冠地区の簡易水道通水。村営スキー場にリフトを設置する。 1976(昭和51)年、村立自然公園「赤岩青巌峡」に指定される。 1977(昭和52)年、湯ノ沢温泉のボーリングが始まる。 1981(昭和56)年、関兵精麦(せきひょうせいばく)グループと占冠村の第三セクター「シムカップ・リゾート開発公社」により、中トマム地区のスキー場を中心としたリゾート開発に着手する。千歳空港駅〜新得駅間および新夕張駅〜夕張駅間を石勝線に改称。10月占冠駅・石勝高原駅および東占冠信号場・滝ノ沢信号場・トマム信号場・串内信号場が開業。 1983(昭和58)年、10月アルファリゾート・トマム開業。(石勝高原トマム山スキー場) 1987(昭和62)年、2月石勝高原駅がトマム駅に、トマム信号場がホロカ信号場に改称。 1989(平成元)年、総合保養地域整備法(リゾート法)による富良野・大雪リゾートが承認される。(北海道内初)。 1998(平成10)年、5月 アルファリゾートトマムの施設の4割を所有するアルファ・コーポレーション(札幌市)が自己破産。これにより同社運営の施設が休業。その後、占冠村が買収し、加森観光に運営を委託し、営業を続けたが、客足は落ち込んだ。 2000(平成12)年、道の駅「自然体感占冠」がオープン 。 2004(平成16)年、4月関兵精麦所有分の施設を星野リゾートへ譲渡する。星野リゾートが譲受区画の運営を自ら手がけることとなり、施設の4割を加森観光が、6割を星野リゾートが運営する二元体制になる。 2005(平成17)年、加森観光が運営受託契約を解消し、運営は星野リゾートに一元化された。 2007(平成19)年、10月道東自動車道トマムIC〜十勝清水IC間開通。 2009(平成21)年、10月道東自動車道占冠IC〜トマムIC間開通。 2011(平成21)年、10月道東自動車道夕張IC〜占冠IC間開通。 占冠村史・占冠村百年史参考 一之瀬長春とは、開拓使属史で、1872(明治5)年北海道庁の命により岩知志を起点として左右府地域を経て金山(かなやま)に向かうルートに標木を建てながら測量を行った。 駅逓とは、宿場から宿場へ荷物を送り届けることで、宿(しゅく)つぎ。馬つぎとも言われた。 当時開拓のために北海道にやってくる人や、旅をしている人に宿泊所として使われたり、または人や馬を貸し出したりしていて、北海道独特の制度だったそうで、郵便の仕事も取りあつかっていたそうだ。 運営には半官半民の請負制がとられ、運営者は取扱人(とりあつかいにん)と呼ばれた。 北海道内には全部で238駅、配置されていた馬の数は2835頭にもなったそうだ。 1946(昭和21)年には制度自体が廃止になった。 石勝線とは、千歳市の南千歳駅〜夕張市〜上川郡新得町の新得駅を結ぶ本線と、夕張市内にある新夕張駅〜夕張駅間の支線からなる北海道旅客鉄道(JR北海道)の鉄道路線である。 路線名は、旧称石狩国・十勝国から採られている。 新夕張駅以東の沿線は、占冠駅・トマム駅周辺以外ほとんど人が住んでいる地域がない。信号場の多くは計画当初駅にする予定だったが、現在は信号場になっている。 1892(明治25)年、11月北海道炭礦鉄道の追分駅〜夕張駅間が開業し、同区間に紅葉山駅・夕張駅が開業。 1906(明治39)年、10月北海道炭砿鉄道を買収し追分駅〜夕張駅間が官設線となる。 1909(明治42)年、10月追分駅〜夕張駅間、紅葉山駅〜楓駅間が夕張線となる。 1916(大正5)年、7月楓駅〜登川駅間が延伸開業し、登川駅が開業。 1966(昭和41)年、9月根室本線の落合駅〜新得駅間新線付け替えにより、上落合信号場・新狩勝信号場・広内信号場・西新得信号場が開業。 1967(昭和42)年、1月楓駅が廃止。スイッチバックを解消し登川支線上に移転、楓駅を移転する。 1981(昭和56)年、7月紅葉山駅〜登川駅間の路線が廃止、同区間の楓駅・登川駅が廃止。10月千歳空港駅〜追分駅および新夕張駅〜新得駅が開業。千歳空港駅〜新得駅間および新夕張駅〜夕張駅間を石勝線に改称。楓駅・占冠駅・石勝高原駅および駒里信号場・西早来信号場・滝ノ下信号場・オサワ信号場・東オサワ信号場・清風山信号場・東占冠信号場・滝ノ沢信号場・トマム信号場・串内信号場が開業、紅葉山駅が新夕張駅に改称。 1985(昭和60)年、10月夕張駅が移設。 1987(昭和62)年、2月石勝高原駅がトマム駅に、トマム信号場がホロカ信号場に改称。 1990(平成2)年、12月夕張駅が移設。 1992(平成4)年、7月千歳空港駅が南千歳駅に改称。 2004(平成16)年、3月楓駅を信号場に変更。 2011年(平成23年)、5月石勝線特急列車脱線火災事故発生、特急「スーパーおおぞら」14号が脱線。その後復旧工事が終了し運転再開。 道東自動車道とは、千歳市を起点とし釧路市と北見市へ至る予定の高速道路で、略称は道東道。 開通しているのは、千歳恵庭JCT〜浦幌IC間、本別JCT〜足寄IC間。 浦幌IC〜釧路IC間・足寄IC〜北見西IC間は未開通である。 2007(平成19)年、10月道東自動車道トマムIC〜十勝清水IC間開通。 2011(平成23)年、10月夕張IC〜占冠IC間が開通し、札幌都市圏と帯広都市圏の往来が可能になった。 国道237号線とは、旭川市から浦河郡浦河町に至る一般国道で、総距離は259.6km。 道道136号夕張新得線とは、夕張市と新得町を結ぶ主要道道で、総距離は87.4km。 |