峠下茶屋の跡住所 勇払郡占冠村占冠 金山峠占冠村 国道237号線沿いにあり、空知郡南富良野町金山市街地から約8.1km、勇払郡占冠村市街地から約13.5kmほどの金山峠金山トンネル付近にある。 現在では往時の難路であった金山峠の面影はみられなくなったが、当時峠から占冠村側に下る途中、右手の道路沿いに小さく開けた場所があり、二軒の茶屋が休憩所兼食事処として並んで建っていた。現在は大きな石碑と説明板がある。 茶屋は昭和30年代頃まであったようである。 1975(昭和50)年に碑が建立され、大きな岩には「峠茶屋之跡」と刻まれており、当時は民営の駅逓に近い経営だったようで馬宿もしていた様である。 峠下茶屋の跡 金山側に旅宿があったように、占冠側のこの場所には、茶屋 が二軒あった。 明治四十三年に上富良野の丸一木工場造材部の飯場であった 某が、初めて茶屋を開いたので、名がわからないことから「ぢ いさんばあさん茶屋」と言われていた。これが初代で、次に山 屋簡平翁の経営となり、馬宿もやっていた。大正八年には杉山 竹次翁が引き継ぎ、自動車輸送登場によってその意義を失う まで続いた。 さて、もう一軒は、初め岩崎某が始めたもので、この茶屋の ばあさんは「峠の茶屋のおにばば」で有名だった。 このおにばばの顔を見ると風土病の「おこり」が落ちるとい う有名な話がある。 「おにばば」という名をもらったのは、「ほうずき」を盗んだ 子供を叱った時、その子供が「おにばば」という名をつけてし まった。 双珠別のある事件で検事が来村した時「おにばばの茶屋に憩 いて渋茶のむ」という句を残したことから更に有名になり、営 林署や上川支庁に出かけて男まさりの交渉し、支庁長の前であ ぐらをかいて「土地くれろ」と言った話は最も評判で、「おに ばば」を見るために占冠に出張を希望した役人もあったといわ れている。 二代目は永井彦一、三代目が北村金太郎とつづき飲食店と馬 宿をかね続いていたが今はただこのあとが残っているだけであ る。 昭和五十七年十月 占冠村 国道237号とは、旭川市から浦河郡浦河町に至る一般国道で、総距離は259.6km。 大きな地図で見る |