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羽幌沿海フェリーターミナル

住所 苫前郡羽幌町港町1丁目51番地
TEL 0164-62-1774
駐車場 無料 約140台程度

羽幌沿海フェリー

羽幌町観光協会

苫前の由来はアイヌ語の「トマオマイ」(エゾエンゴサク・ある・もの(場所))から。
羽幌の由来は、アイヌ語の「ハホロペツ」(流出広大の川)または「ハボロベツ」(広大な川の流域)から。
港町の由来は、羽幌港があることから。
国道232号道道547号羽幌港線の交差点からサンセットビーチ(港方向)方向に約230mほどの交差点を右折し、約550mほどのT字交差点を左折し道なり。

羽幌港と離島である天売島、焼尻島を結ぶ船を運航する海運会社である。夏場の観光シーズンは高速船とフェリーをフル回転させて運航便数が増えるが、10月から翌年4月にかけての閑散期には高速船は休航し、フェリーのみ一日一往復の運航となる。2013(平成25)年4月からターミナルを中央ふ頭に移し、天売島・焼尻島への発着点として新しくなった。
ターミナル内は、窓を広く取り眺めが良い。通路部分には地場産木材であるカラマツ板を用い落ち着いた雰囲気となっている。ちなみにトイレは夜中でも利用できるようである。
以前のターミナル内にあった食堂前では、カモメのエサが売っていたが現在はエサは売っていないので注意してほしい。
ターミナルの写真以外は、2011・2012年に撮影したものです。当時は船の上からでもエサやりができ、手からエサを取る瞬間は迫力ありましたが、現在は出来ないのでお間違えの無いように。

離島である焼尻島・天売島は、暑寒別天売焼尻国定公園に指定されていて、焼尻島のイチイの原生林は1983(昭和58年)8月に国の天然記念物に指定されている。
焼尻島は、面積5.21km2、周囲約10.6km。島の名の由来は、アイヌ語の「エハンケ・シリ」(近い島)、あるいは「ヤンケ・シリ」(水揚げする島)。
主たる産業は漁業で、観光と畜産がある。畜産はサフォーク種の国内有数の産地として有名で、道路から放牧風景も見られる。

天売島は、面積5.50km2、周囲約11.6km、島の名の由来は、アイヌ語の「テウレ」(魚の背腸)、もしくは「チュウレ」(足)。
ウミガラス(オロロン鳥)ウトウウミウオオセグロカモメなどの海鳥の繁殖が確認されているため、1938年(昭和13年)8月8日に「天売島海鳥繁殖地」として国の天然記念物に指定される。
天売島は、明治時代以降、入植者(ニシン漁従事者)による乱伐、山火事の発生により島内の森林の大半を喪失する状態になり、生活に必要な水資源に事欠くようになってしまったと言う。
第二次世界大戦後には、治山事業により植林を開始して、1990年(平成2年)8月には、周辺の暑寒別山系や焼尻島等とともに暑寒別天売焼尻国定公園に指定された。
それぞれ小さい島(1周10キロ程度)のため、島内はレンタサイクルで回るのがおすすめである。

おろろん2(フェリー)
2001(平成13)年竣工、総トン数 480 t、航海速力 15.0 kt(ノット)
定員100人〜300人、船内は1等(30名)、2等に分かれている
車両積載能力 トラック2台、乗用車8台、天売島、焼尻島の生活に欠かせない物資を運ぶ役目も担っており、年間を通して運航し、季節によって運航便数が変わる。
羽幌から焼尻島(所要約60分)・天売島(所要約90分)で運航。




さんらいなぁ(高速旅客船)は2012(平成24)年に引退し、現在はさんらいなぁ2(高速旅客船)が運行されている。
さんらいなぁが総トン数149 tで、2が総トン数122tと若干小さめになっている。航海速力も25ノットから23ノットに、定員200名から130名と以前の船から見ると小さめになっているようだ。4月のフェリー休航時および繁忙期のみの運航し、10月からは他の離島航路に代船として貸し出されるなどしているようだ。
羽幌から焼尻島(所要約35分)・ 天売島(所要約60分)で運航。



港町地区は、明治以来川南地区と共に羽幌市街を形成し、羽幌の中心区として発展してきた。港町には羽幌港があり、羽幌港と離島である天売島、焼尻島を結ぶ羽幌沿海フェリーがある。羽幌川切替後には旧河川敷が整備され、サンセットプラザはぼろはぼろバラ園などが整備された。
 羽幌は、古くから今の羽幌川の河口付近の地名で、「ハホロ」「はほろ」と記されることが多かった。江戸期から明治にかけて渡船場(現・南・北一条通り付近)が設けられ、その渡守はアイヌだった。1857(安政4)年初めて和人漁民の出稼ぎが許可され、秋田・津軽の漁民3人(雇漁夫39人)がニシン漁を始めるが長くは続かなかった。
 1871(明治4)年各藩の分轄統治が廃され、天塩地方は水戸藩支配から開拓使の管轄となる。12月栖原屋角兵衛は天塩国一円、焼尻、天売地区の漁場持を開拓使より許可され、鮭・鱒の漁場(現・港町三丁目付近)を設ける。漢字の「羽幌」としたのは1879(明治12)年のこと。1881(明治14)年には羽幌川に田村清二郎が渡船守をする。1885(明治18)年アイヌの渡守が亡くなったことで後任として工藤浅吉が羽幌川の渡船守として移住する。1886(明治19)年に石川県金沢市出身の士族・斉藤知一が捕鯨業の許可を得て、ポンイカツナイ(現・字汐見)にて操業を始めたのがこの地区の歴史に登場する始まりとされている。それ以前にも来住者は居た。1887(明治20)年青森県人の立崎熊次郎・川口政吉・紫谷善兵衛らがニシン漁を始める。この頃海岸地区に集落が出来る。捕鯨会社が大日本帝国水産会社に譲渡され、斉藤氏は支配人となる。最盛期には漁夫が150人にも達した。その後不漁となり1901(明治34)年に廃止となる。捕鯨に携わった者たちの出身は石川県が最も多く、佐度、新潟、富山、福井県人も居た。捕鯨が衰退しても漁民たちは鰊が豊漁だったこともあり、建網場を出願し許可を得たり、刺網に従事するなどして定着していった。1892(明治25)年8月苫前尋常小学校羽幌分校設置する。この頃から商店が開業する。1893(明治26)年羽幌に回漕店開業する。佐度から移住した本間藤右衛門が呉服店を開く。1894(明治27)年には苫前郡羽幌村(現・羽幌町)を分轄し、羽幌村となる。古丹別、羽幌、築別、茂築別、朱参別(初山別)原野の殖民地調査を実施する。羽幌市街に仮祠を設ける。羽幌市街予定地(南浜通1〜6丁目)と羽幌の一部の地域と川南地区の一部が現在の港町となった。本間藤右衛門が妻子を佐渡から連れて来る。そのとき酒造道具等も取り寄せ呉服商のほか酒造業を開始する。しかし、羽幌川の洪水で酒造蔵や道具が大損害を受け止むなく一時休業する。初期の商店街は南二条通りが中心。1895(明治28)年11月羽幌尋常小学校として独立する。12月羽幌原野250画、築別原野170画を告示し翌年貸付する。羽幌川の渡船守を廃止し架橋する。1896(明治29)年羽幌・築別原野解放により福井・富山県などから約400戸の移住者が来て本格的な開拓が始まる。羽幌〜築別間の仮県道開通する。羽幌神社創建する。1897(明治30)年7月戸長役場を設置する。11月郡役所を廃止し支庁を置く。増毛支庁の管轄となる。1906(明治39)年羽幌の戸数は421戸。1909(明治42)年3月羽幌村に一級町村制施行。羽幌港は明治以来長く港とは名ばかりの羽幌川の河口の堤防を利用したものだった。
 1917(大正6)年9月羽幌神社社殿造営する。1921(大正10)年1月羽幌測候所設立する。4月劇場ができる。7月町制施行する。大正期にニシンが不漁となったことから沖合漁業の必要性を重く見た。
 1926(昭和元)年12月北大通で大火となる。1931(昭和6)年羽幌港築港開始。1932(昭和7)年9月羽幌線古丹別〜羽幌間を延伸開業し、上平・苫前・羽幌の各駅を新設する。これにより駅前周辺に商店などが集まっていく。1933(昭和8)年江野力が札幌逓信局と契約して羽幌〜焼尻・天売を結ぶ郵便航路開かれる。1935(昭和10)年羽幌港竣工する。苫前両島定期航路株式会社設立し、苫前〜羽幌〜焼尻〜天売航路に就航する。1939(昭和14)年羽幌川の改修工事着工(昭和18年竣工)する。1941(昭和16)年12月国有鉄道羽幌線の羽幌〜築別間延伸開業し、築別駅を新設する。1942(昭和17)年苫前両島定期航路株式会社は「両島運輸」に社名変更する。1946(昭和21)年戦後開拓者の入植が始まる。1950(昭和25)年苫前両島定期船(両島運輸)が羽幌にも寄港するようになる。1951(昭和26)年羽幌港が地方港湾に指定される。1955(昭和30)年4月天売村を羽幌町に編入する。この結果羽幌と両島との絆が強まることとなる。1958(昭和33)年国鉄羽幌線全線開通。5月羽幌町の条・町・字名を改正する。港町となり1〜6丁目まである。元は羽幌町の一部。1959(昭和34)年4月焼尻村を羽幌町に編入する。1967(昭和42)年羽幌炭砿の石炭運搬船が入港する。1969(昭和44)年6月離島電気海底ケーブル敷設する。苫前港から羽幌港へ両島の母港が移転する。羽幌川の切替工事は1975(昭和50)年に着工した。これにより羽幌港が拡張されることとなる。1986(昭和61)年羽幌川新水路が完成し通水する。1987(昭和62)年国鉄羽幌線廃止となる。沿岸バスに転換される。
 1989(平成元)年フェリー「おろろん」就航する。1991(平成3) 年高速船「さんらいなぁ」就航する。1992(平成4)年地熱開発ボーリングの結果温泉が噴出する。羽幌沿海フェリーに社名変更する。1994(平成6)年サンセットプラザはぼろがオープンする。1997(平成9)年北海道海鳥センターがオープンする。羽幌100年記念式典挙行。1998(平成10)年にはぼろバラ園がオープンする。道の駅ほっと・はぼろが開駅となる。2001(平成13)年フェリー「おろろん2」就航する。2006(平成18)年サンセットプラザはぼろの管理運営開始する。2013(平成25)年高速船「さんらいなぁ2」就航し、羽幌側の発着地を中央ふ頭の新ターミナルに移転する。
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