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朝日公園花しょうぶ園

住所 苫前郡羽幌町字朝日
開設期間 5月〜10月
料金 無料

羽幌町観光協会

苫前の由来はアイヌ語の「トマオマイ」(エゾエンゴサク・ある・もの(場所))から。
羽幌の由来は、アイヌ語の「ハホロペツ」(流出広大の川)または「ハボロベツ」(広大な川の流域)から。
朝日の由来は、羽幌川河口右岸の辺りは当時アイヌ語で「ピパウシ」(カラス貝・多い・もの)。当時は羽幌原野と呼ばれていた。川北市街から二股、大沢川流域を1900(明治33)年の字名改正まで朝日としていた。いきさつはわからなかった。
国道232号道道762号平羽幌線の交差点(看板有)を約1.2km、羽幌川に架かる朝日大橋を渡った交差点(看板有)を左折し、約450mの交差点(看板有)を斜め右に入り直進。

市街から車で5分ほどの朝日公園に、丹精込めて育てた菖蒲園が広がっている。1983(昭和58)年に朝日公園造成事業に着工し町の新名所として整備されたものである。
面積は5.9ha、31種類、10000株の花菖蒲が、7月初旬〜7月末まで見頃。
7月は白・紫・黄色などの花をつけ、静かに華やぐ菖蒲が一面を染めとても綺麗である。
公園内にある池の睡蓮もこの時期に開花するそうだ。
また、公園内にはテント専用の無料キャンプ場も併設されている。(トイレ・水場完備)


朝日は、築別原野と共に明治以来、羽幌の農業の中核をなしてきた地域であるが近代は過疎化が進んだ。開拓は1893(明治26)年岩谷松平が羽幌原野川北1〜3線(現・朝日)に小作人8戸入植させるがこれは失敗に終わった。1894(明治27)年には苫前村から羽幌村が分離、行政区域として羽幌村が設置される。4月羽幌市街地区画告示。北海道庁が古丹別・羽幌・築別・茂築別・朱参別(初山別)原野の殖民地調査を行う。1895(明治28)年羽幌原野250区画・築別原野170区画を告示する。1896(明治29)年羽幌原野に福井・富山県から約400戸団体移住者入植。朝日地区には富山県人の出身者が多かった。羽幌〜築別原野の仮道開削する。羽幌神社創建する。入植時から水稲の試作が行われ、早くから造田が進んだ。1897(明治30)年7月羽幌村戸長役場が設置される。(苫前村戸長役場から独立)、増毛支庁の管轄となる。1900(明治33)年羽幌原野に官設渡船場(二ヵ所)設置。1902(明治35)年二級町村制施行、羽幌村役場と改称。1903(明治36)年羽幌・築別原野道路開削。羽幌原野8線に官設渡船場設置する。1906(明治39)年朝日簡易教育所(後の朝日小学校)が開設。この年二股と朝日の戸数は121戸。
 1916(大正5)年野村三之助等が原野一線〜七線の川北地区(現・朝日)に約210町歩の造田計画が進められる。1920(大正9)年二股33戸、211人。朝日は61戸、386人。1921(大正10)年7月町制施行羽幌町となる。1923(大正12)年5月国鉄羽幌線着工する。洪水により羽幌市街地・川南・川北が浸水する。灌漑溝が完成する。
 1942(昭和17)年羽幌森林鉄道羽幌〜平22線間開通する。1955(昭和30)年朝日と二股の人口は92戸、621人。1958(昭和33)年5月羽幌町の条・町・字名を改正し、羽幌一線北・二線・原野三線・羽幌原野大沢五線・大沢二股・二股・二股八・二股十〜十二線・ヌップコマナイ・ガンケの沢・羽幌・ハボロ駒内・羽幌一・三〜六線・羽幌原野一〜八線・原野一線・四線・五線・築別・築別原野六線の南の一部が朝日となった。1963(昭和38)年羽幌森林鉄道の軌道撤去する。
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