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ウグイス谷

住所 苫前郡羽幌町焼尻

羽幌町観光協会

苫前の由来はアイヌ語の「トマオマイ」(エゾエンゴサク・ある・もの(場所))から。
羽幌の由来は、アイヌ語の「ハホロペツ」(流出広大の川)または「ハボロベツ」(広大な川の流域)から。
焼尻の由来は、アイヌ語の「エハンケ・シリ」(近い島)、あるいは「ヤンケ・シリ」(水揚げする島)。
緑岡の由来は、1940(昭和15)年焼尻・天売村の改名・地番改正し緑岡となった。アイヌ語由来ではない。
雲雀ヶ丘公園から徒歩か自転車で行くことができる。

焼尻島の東側中央部に広がるオンコ原生林の中にあるのがウグイス谷と焼尻自然林である。ここは鬱蒼とした森の中に整備された遊歩道が広がり、草花や自然林、そしてバードウォッチングが楽しめる。
ミズナラやハンノキなどの広葉樹、それにイチイ、アカエゾマツ等の針葉樹が混成する原生林で、約50種の樹木が確認されている。
この森には、イチイ(オンコ)の複雑多岐な枝ぶりに驚かされます。奇妙な形をした木の解説板も充実し、案内標識も充実しているので、道に迷うこともなく散策できる。

1983(昭和58)年国の天然記念物に指定されている。
焼尻島の森は変化に富んだ自然が凝縮し、バードウォッチングのポイントだが、このウグイス谷ではその姿を確認するのは容易ではない。



鶯谷の姥松(樹木名アカエゾマツ)があり古木伝説が残されている。
その昔、島にはテングがいたそうで、教えを守らず木を切った人が下敷きになって死んでから木を切るものがいなくなったという伝説がある。


緑岡は、1940(昭和15)年焼尻・天売村の改名・地番改正し緑岡となった。このときアイヌ語系の地名は全て消えた。1875(明治8)年焼尻の厳島神社が村社となる。焼尻となったのは1876(明治9)年である。それ以前は苫前の管轄下にあり、小字はなく焼尻だったようである。1880(明治13)年焼尻外1戸村長役場の管轄区域となる。12戸、234人。1882(明治15)年一戸栄弥が焼尻村オネトマリ(西浦)で寺子屋式の教育を開始する。1884(明治17)年定期船が焼尻港に寄港開始する。天売・焼尻両島に郵便船の定期航路(渡海線)開設する。焼尻に商店開店する。1885(明治18)年日本郵船(株)の定期船が天売・焼尻に寄港開始する。1886(明治19)年焼尻にて森林火災あり島の三分の一を焼失する。ニシン漁業者による乱伐と山火事により森林が荒廃する。1902(明治35)年天売戸長役場が焼尻村より独立する。1906(明治39)年2級町村制施行で焼尻村役場と改称。
 1916(大正5)年11月焼尻厳島神社現在地に遷座する。
 1933(昭和8)年羽幌〜焼尻・天売を結ぶ航路開かれる。1940(昭和15)年焼尻・天売村の改名・地番改正する。1942(昭和17)年焼尻に綿羊入る。1947(昭和22)年焼尻・天売の各中学校創立する。11月焼尻に電気の供給開始する。1959(昭和34)年4月焼尻村を羽幌町に編入する。羽幌町焼尻となる。1961(昭和36)年天売・焼尻に発電所完成する。1962(昭和37)年焼尻地区めん羊事業開始。1964(昭和39)年天売・焼尻道立自然公園指定(後の暑寒別天売焼尻国定公園)。1968(昭和43)年11月焼尻厳島神社全焼する。1970(昭和45)年3月両島の電気施設は北電に移管する。1972(昭和47)年5月焼尻島の深地層地下水調査ボーリング実施。焼尻天売への観光客約5万人。1977(昭和52)年焼尻郷土館(小納邸、明治33年建築)羽幌町有形文化財指定 (12月19日)。1978(昭和53)年7月焼尻郷土館開館する。1979(昭和54)年焼尻郷土館(小納邸)北海道有形文化財指定(11月27日)。1987(昭和62)年焼尻島白浜にラノルド・マクドナルドの上陸記念トーテムポールを設置する。焼尻にある旧秋山邸を北海道開拓の村に移築する。
 1990(平成2)年8月暑寒別天売焼尻国定公園指定。1991(平成3)年4月高速船「さんらいなぁ」就航。2011(平成23)年羽幌が舞台の全国放送のテレビドラマ「幸福の黄色いハンカチ」のロケが市街地、焼尻島で行われる。


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