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チョウザメ館

住所 中川郡美深町紋穂内 森林公園びふかアイランド内
TEL 01656-2-2595
開館時間 9時〜17時(冬期は10時〜16時)
休館日 月曜(祝日の場合は開館)、年末年始
入館料 無料

美深町観光協会

中川の由来は、天塩川の中流にあることに由来する。
美深の由来は、アイヌ語で「ピウカ」(石の多い場所)から。
紋穂内の由来は、アイヌ語の「モム・ポ・ナイ」(川尻に野原のある川)また、「モ・ヌポ・ナイ」(小さい野にある川)が転訛した。
国道40号線美深市街地から音威子府方向に約8.7kmほど右折し約300mほど。

国道40号線沿いにある道の駅びふかに隣接する「びふかアイランド」内に、日帰り入浴施設と宿泊施設を兼ねた「林業保養センター びふか温泉」がある。そこからキャンプ場の方に向かい歩くとまるで教会のような建物が見えてくる。ここがチョウザメ館である。館内にはさまざまなチョウザメや天塩川の魚ががいっぱい。
この施設は、1997(平成9)年にオープンした。前身として1983(昭和58)年水産庁養殖研究所の飼育実験として、美深町の三日月湖(現在のびふかアイランドの川、蛇行する天塩川をショートカットするためできた三日月湖)に約300匹のベステル種を放流したのが養殖事業のはじまり。1992(平成4)年には自然飼育からビニールハウスを建て、飼育水槽2基を設置し飼育環境を改善し、1993(平成5)年にはじめて卵をとることに成功し、キャビアなどの特産品開発のため、チョウザメ養殖の研究を行っている施設で、現在は養殖用のベステル種を含む7種3400匹のチョウザメが居るそうだ。
 チョウザメの遡上は北海道の河川では、ダウリア・チョウザメと、ミカド・チョウザメという2種類が居たようでほとんどが北海道での記録だという。石狩川、天塩川、十勝川、釧路川がチョウザメの遡上していた主だった河川で、明治時代末期頃まで容易に見られたが、昭和に入ると激減した。原因は乱獲、そして治水を目的とした河川改修工事などである。
松浦武四郎が著した「天塩日誌」にも天塩川でチョウザメが遡上してきてシュボロ(スーポロ、現・智恵文)あたりまで上がってくるという記述があり、貴重な食料となっていたようである。
館内に入ると、全長146cmのチョウザメの剥製が出迎えてくれる。これは、1996(平成8)年12月に、利尻島鬼脇漁協が捕獲し、北海道電力株式会社総合研究所で研究用に飼育されていたものが死亡したため、提供してもらいチョウザメ館の落成を記念し、建設業者より寄贈されたもの。

ホール中央には、円筒状の大きな水槽内をチョウザメが何尾も泳いでいる。ベステル種、ロシアチョウザメ、シベリアチョウザメ、コチョウザメ、シロチョウザメ、ホシチョウザメが入り乱れて泳ぐ様は圧巻である。



他にも、天塩川やその支流に生息する「コイ」「フナ」「イワナ」「ヤマメ」「ウグイ」などのわりとありふれた川魚やイトウやサクラマスなども展示されている。
さらに奥にある養殖研究所のような個体の大きさ別に飼育を分けた施設の展示も面白い。チョウザメの稚魚が水面上に頭を突きだしているのが、標津町にある標津サーモン科学館でできる、チョウザメ指パク体験を思い出したが、ここでは手を入れることは出来ないので注意してほしい。

紋穂内地区は、1936(昭和11)年に字名地番改正からの字名である。モオヌポナイがモンポナイとなり、開拓当初からの通称地名だったものに漢字を当てた。1903(明治36)年に福島県人の本多美之助が土地の払下げを受けて入植する。1911(明治44)年11月天塩鉄道(現・宗谷本線)名寄〜恩根内間を延伸開業、智恵文・美深・紋穂内・恩根内駅を新設。現・字西里へは渡船場を利用して移動していた。開拓当初は畑作がほとんどだった。
 1918(大正7)年北海道無煙炭鉱により紋穂内炭砿(後の松原無煙炭鉱)採炭開始する。1920(大正9)年6月1日智恵文村分村、下名寄村を美深村と改称する。  昭和初期からは一部水稲も耕作するようになる。学校が天塩川の対岸にあったため増水時に渡船が使えなかったため1931(昭和6)年から臨時教育所があった。1940(昭和15)年この頃まで松原無煙炭鉱は採炭していたようである。1950(昭和25)年58戸、296人。1963(昭和38)年紋穂内橋が完成する。臨時教育所は閉鎖となる。その後天塩川の切替と築堤工事のため離農者が相次いだ。
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