優佳良織工芸館住所 旭川市南が丘3丁目1-1(北海道伝統美術工芸村内)TEL 0166-62-8811 休館日 無休(年末年始) 開館時間 9時〜17時 入館料 大人450円 高・大学生250円 小・中学生200円 北海道伝統美術工芸村 一般社団法人 旭川観光コンベンション協会 旭川の地名の由来は、アイヌ語で忠別川「チュプ・ペッ」(日・川)の意味で、「日」を「旭」に置き換えて「旭川」と意訳した。 国道12号線沿いにあり、旭川市街地から約3.8kmほど。 優佳良織工芸館(ゆうからおりこうげいかん)とは、北海道の染織工芸品「優佳良織(ゆうからおり)」を展示している施設。 国際染織美術館、雪の美術館とともに、北海道伝統美術工芸村の一部として運営されている。 北海道伝統美術工芸村の創始者でもある染織作家、木内綾が創作した北海道を代表する染織工芸・優佳良織を展示し、1980(昭和55)年開館した。 それまでカタカナ表記だった「ユーカラ織」を漢字表記へと変更、漢字の命名は棟方志功。 館内はテーマ展示室、和の展示室、洋の展示室、インテリア展示室、制作工程展示室からなる。 手織り体験も行っているそうで、事前要予約とのこと。 また販売室にて購入可能なものもあり、手にとって選ぶことができるそうだ。 建物も北海道の素材にこだわり、館内は全て北海道の天然木を使用しているこだわり。 床材にはハルニレ、展示室ごとにオンコ、ヤチダモ、オニグルミ、ミズナラなどが使用されており、建物に使われている煉瓦は、北海道の土で焼成されたもの。 優佳良織(ゆうからおり)とは、旭川市の染織作家・木内綾が創作した染織工芸品。 優佳良織の「ユーカラ」とは、アイヌ語で(伝承)という意味。 北海道の織物として、「継続して伝えられていく織物になってほしい」そんな想いからこの「ゆうから織」という名がつき、1973(昭和48)年に木内綾と親しかった版画家・棟方志功が「優佳良韻々」と命名した。 優佳良織は、素材となる羊毛を染め、手紡ぎの糸をつくり、一つの作品に200色から300色の色を使うとともに機にかけて織り、最終工程まですべてが手仕事で行われる。 代表的な作品として、「流氷」「ナナカマド」「ミズバショウ」「摩周湖」「さんごそう」「白鳥」「ハマナス」など、北海道の自然をテーマに手織りで表現している。 北海道伝統美術工芸村とは、旭川市にある美術館群の名称。旭川市内を一望できる高台にあり、約8万uの敷地内に、国際染織美術館、雪の美術館、優佳良織工芸館の3つの施設で構成されている。 1980(昭和55)年、優佳良織工芸館が完成、1986(昭和61)年に国際染織美術館が開館、1991(平成3)年に45億円の建設費を投じて雪の美術館が開館し、これらの施設を総称し、北海道伝統美術工芸村として運営されている。 2004(平成16)年に競売にかけられ、2005(平成17)年に民間企業が落札、継続して運営を行っている。 国際染織美術館 住所 旭川市南が丘3丁目1-1(北海道伝統美術工芸村内) TEL 0166-61-6161 休館日 (4月〜10月)無休 (11月〜3月)休館 開館時間 9時〜17時 入館料 大人550円、高・大学生350円、小・中学生250円 国際染織美術館(こくさいせんしょくびじゅつかん)とは、日本で唯一の染織専門美術館で、世界中の染織品、日本各地の染織品が集められ、世界約80カ国およそ5千点にも及ぶ収蔵品を分類別に分けて展示され、染織工芸品は「天然染料」で「手織り」を基本とされている。 優佳良織工芸館、雪の美術館とともに、北海道伝統美術工芸村の一部として運営されている。 1階に販売室・第1展示室、2階に第2〜第5展示室がそれぞれ位置する。 染織工芸品を毎年変わるコレクション展のテーマに合わせて、200点ほどを選び、展示・展開している。 棟方志功(むなかたしこう)とは、1903(明治36)年9月5日 - 1975(昭和50)年9月13日、日本人の板画家で、20世紀の美術を代表する世界的巨匠の一人。 1903(明治36)年、青森市で代々刀鍛冶職人である棟方幸吉の三男として生まれる。囲炉裏の煤(すす)で眼を病み極度の近視となる。少年時代にゴッホのヒマワリの複製を先生にいただき感動し、「ゴッホになる」と芸術家を目指したという。 1924(大正13)年、21才の時東京へ上京し、靴直しや納豆売りなどをして絵の勉強を続け、帝展などに油絵を出品するが落選が続いた。 1928(昭和3)年、10月第9回帝展に「雑園」(油絵)を出品し、入選する。 1929(昭和4)年、春陽会に版画4点が入選する。 1930(昭和5)年、文化学院で美術教師を務める。国画会に出品した版画4点が全部入選。 1932(昭和7)年、日本版画協会会員となる。 1936(昭和11)年、 4月国画展に出品の「大和し美し」(版画巻)を出品して日本民芸館に買上げられ出世作となる。これを機に柳宗悦、河井寛次郎、浜田庄司らと交流する様になり多大な影響を及ぼす。 1952(昭和27)年、4月スイスのルガーノで開かれた第2回国際版画展で優秀賞を受賞。 1955(昭和30)年、7月サンパウロ・ビエンナーレに「釈迦十大弟子」などを出品し、版画部門の最高賞を受賞。 1956(昭和31)年、ヴェネツィア・ビエンナーレに『湧然する女者達々』などを出品し、日本人として版画部門で初の国際版画大賞を受賞。一躍世界のムナカタに。 1969(昭和44)年、2月青森市から名誉市民賞を授与され、翌年には文化勲章を受章する。 国道12号線とは、札幌市から旭川市へ至る一般国道で、総距離は156.8km。 大きな地図で見る |