苫前町郷土資料館住所 苫前郡苫前町字苫前393番地1421TEL 0164-64-2954 開館期間 5月1日〜10月31日 開館時間 10時〜17時 休館日 月曜日(祝日の場合翌日、夏休み期間中は無休) 入館料 高校生・一般 300円、小・中学生 100円 苫前町 苫前の由来はアイヌ語の「トマオマイ」(エゾエンゴサクのある所)が転訛したもの。 苫前町市街地、国道232号線と道道582号苫前停車場線の交差点から約400mほどにある。 ここは元々苫前町役場で、1984(昭和59)年、役場新庁舎の完成に伴い、旧役場庁舎は郷土資料館として改修保存されオープンした。 館内は、農林漁業の道具や生活用具を主に展示し、昔の苫前の町の様子を知る事ができる。 巨熊の北海太郎、三渓出身の「渓谷の次郎」など三毛別羆事件のジオラマなど、写真や図表で紹介し、クマに関する資料などの展示約700点、収蔵資料約4000点。 三毛別羆事件に関する資料が豊富なので、三毛別羆事件跡地に行ってから郷土資料館に来るといいだろう。 道道1049号苫前小平線を三毛別羆事件跡地方面に向うと途中に、三渓神社があり境内には熊害慰霊碑もある。 他にも旧石器時代から縄文・擦文時代、アイヌ文化に至る資料や解説パネルを展示した考古資料館や、資料館裏庭には、縄文時代と擦文時代の復元住居とアイヌのチセが展示されている。 紀元前6000年頃、苫前町に人が住み始める。 紀元前800年頃、香川3線(遺跡)に集落ができる。 1634(寛永11)年、トママイ交易場所開かれる。 1670(寛文10)年、この年に書かれた「寛文拾年狄蜂起集書」に「ともまい」の地名がある。 1804(文化元)年、運上屋を建てる。 1804(文化元)〜1818(文政元)年、この頃間宮林蔵この沿岸を測量(伊能忠敬の全島沿岸実測図として完成) 1807(文化4)年、西蝦夷地が松前藩領から天領(幕府直轄領)になる。 1821(文政4)年、幕府、蝦夷地を松前藩に返還する。 1840(天保11)年、マシケ以北の出稼許可され、江差・福山・南部・津軽地方の漁民この地方に姿を見せはじめる。 1846(弘化3)年、松浦武四郎が初めて苫前を訪れ宿泊。 1855(安政2)年、蝦夷地が再び松前藩領から天領になる。 1856(安政3)年、松浦武四郎が天塩内陸踏査のため再び訪れる。 1857(安政4)年、松浦武四郎が天塩内陸踏査のため再度訪れる。 1858(安政5)年、苫前に一泊した翌日、古丹別川を遡り、イシカルンクシナイに止宿。(現・岩見付近) 1855(安政2)年、蝦夷地が再び松前藩領から天領になる。 1859(安政6)年、庄内藩の支配地となり陣屋を置く。 1864(元治元)年、大絵馬を奉納される(苫前神社に現存) 1876(明治9)年、子供たちに読み書きを教え寺子屋発祥となる。 1880(明治13)年、 3村(苫前村・白志泊村・力昼村)の長役場を苫前村に設置された。 1894(明治27)年、苫前郡苫前村が白志泊村を編入、苫前郡羽幌村(現・羽幌町)を分村する。 1896(明治29)年、古丹別原野に本州より団体移住する。 1897(明治30)年、苫前村の戸長役場が羽幌村戸長役場を分離する。 1902(明治35)年、苫前郡力昼村(りきびる)を編入、二級町村制、苫前郡苫前村となる。 1915(大正4)年、一級町村制施行される。留萌〜苫前間に乗合馬車が走る。三毛別羆事件が発生し7人犠牲になる。 1922(大正11)年、留萌−羽幌間乗合自動車営業始まる。 1923(大正12)年、国鉄羽幌線建設工事着工。 1928(昭和3)年、電灯が付き。ラジオが入る。 1931(昭和6)年、鬼鹿〜古丹別間の鉄道開通。 1932(昭和7)年、羽幌まで鉄道開通。 1934(昭和9)年、苫前船入潤(漁港)完成する。 1942(昭和17)年、霧立への森林鉄道開通。林業が本格化する。 1948(昭和23)年、町制施行、現在の苫前町となる。 1958(昭和33)年、国鉄羽幌線全線開通。 1983(昭和58)年、郷土資料館ができる。 1987(昭和62)年、国鉄羽幌線3月29日で廃止する。 |